院は年が早く明け春になるのを待ちかねて、翌年の早春から、寵妃のため有馬の湯にご同伴あらせた。そうして三月末には四月はじめにおん催しの上皇五十のおん賀のため都に還御あらせた。 五十賀、六十賀は当時から一般に広く行われたものであったが、さすがに…
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