「幸なの里や」といったものであった。 京極殿は俊成の女、隆信の異父妹で、もと俊親の妻であるが、寵臣俊親が院の寵姫山城守教の女を賜って以来、去られて久しく別居だから、この時の「幸なの里や」の一句は当座一場の座興か、往年の恨みの片鱗かは知らない…
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