かの「市の聖」空也上人が、はじめ布教地としたのは、庶民の往来の多い下京ああたりが主であったが、精舎(しょうじゃ)を構えるにあたっては、川を越えて、当時全く閑却されていた六波羅の地を相して、ここに自刻の十一面観音を安置して西光寺といったのが…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。