2013-12-20から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第318話

薄氷の そろりぞろりと 無言劇 薄氷(うすらい)がぐじょぐじょ、雪がふわふわ、氷がつるつ・・・それはわたしたちが「水」の一面を捉えているにすぎないのです。 「運命は神の考えるものだ。 人間は人間らしく働けばそれで結構だ」(夏目 漱石) フラクタル…

木魚歳時記 第317話

夜咄や そびらに翳る 残り雪 ぼくの寺には紅梅があります。少々その「紅」が濃いようで、なんだか気が引けておりました。ところが雪をかぶるとまんざらでもない。ということは毒気のある和尚も中和できる白雪のようなご婦人が出現すればなんとか・・・ 「力…

木魚歳時記 第316話

バカの壁 溶けて流れて 雪解川 膳所(ぜぜ)の義仲寺へ行きました。な、な~んと「本日お休み」(月曜)でした。なのに、ぼくの寺は年中無休(年中閑古鳥)・・・大黒さんに話したら「あんたアホとちゃう、電話せんからや」と叱られました。まだ「バカ」と云…

木魚歳時記 第315話

春近し 爺ぃに用心 火の用心 昨年の九月ごろから、ぼくの俳句は面白味がなくなりました。なんでやろ?原因はわかっています・・・いい句を作ろうと言葉にこだわり頭でこねまわすからです。しょせんは自己満足の世界・・・楽しむことに決めました。 「この日…

木魚歳時記 第314話

爺婆の ねんね夜話 寒もどり 俳句では、爺を「尉(」じょう)とか糞を(まり)とか読むようです。しかしぼくは(じいばあ)とか(ふん)と読むのが好きです。アンソロジー(詩華集)としてはふさわしくないのでしょうが。 「月影のいたらぬ里はなけれども、 …

木魚歳時記 第313話

薄氷の どこが始めで 終りやら 万物は、カオス(混沌)より生じて混沌(こんとん)へと還ります。「どこが始めで終りやら」。これは循環(円相)のことです。円相に上下左右とか、始め終わりはありません。つまり、カオス(混沌)とは究極の平等社会(極楽)…

木魚歳時記 第312話

冴返る あの世覗きの 穴一つ 雪が消えれば穴も消えます。この世が消えればあの世も消えます。ですから、今生(この世)も来世(あの世)も「持ちつもたれつ」なのです。「今生を生きているだけ丸儲け」。がんばらなくては。 「雪のうちに佛の御名を称うれば…

木魚歳時記 第311話

三匹を 残してあとは 鬼やらひ 盧山寺(ろざんじ)の鬼おどり(節分)を見にゆきました。肝心の「三匹」の出番がなかなか(坊さんの儀式がもっと短かけれは)・・・鬼おどりを仕掛けたりその鬼を追っ払ったり、人間て勝手のものです。 「自分のしていること…

木魚歳時記 第310話

煩悩の 底にくすぶる とんど焚き 節分に近くの「清荒神」さんに参詣しました。天台宗の寺だそうです。京の十六恵比寿にも数えられ、火の祭事を行うことでも有名です。それはともかく、お焚きあげをしていましたが、煩悩(ぼんのう)は焼き尽くしたようでもふ…

木魚歳時記 第309話

マントラを 吸ふて息づく 龍の玉 昔、ぼくのお寺にも「龍の髭」や「龍の玉」はたくさんありました。さて、「マントラ」とは、お釈迦の時代のインド語で「真如」(しんにょ)と訳されます。すなわち「真実なるもの」の意味であります。 「死んだのちに仏にな…

木魚歳時記 第308話

心経の 一音凍る 修験道 南禅寺の「水路閣」の下から小道を山手に登ると、大小の岩に囲まれた修験の場があります。寒中の凍る大気の中で、一心不乱に「般若心経」(はんにゃしんきょう)を唱え、まさに「色即是空」(しきそくぜくう)の人影がありました。 …

木魚歳時記 第307話

目交に 一つビビッと 寒椿 さすが椿の花。山茶花みたいに嫌になるほどは咲きませんが、気品といい、そのインパクト(感動)といい・・・まさに、ぼくの俳句と子規の俳句との違いです。ところでこの写真は少々気に入っています。 「憎む心にて人の非を見るべ…

木魚歳時記 第306話

山茶花の いやになるほど 咲きにける 山茶花(さざんか)は、嫌になるほどぎょうさんの花をつけます。散ったあとがまた大変で、嫌になるくらい手間がかかります。 「私たちは大きくも小さくもありません。ただ神のみ前にあるのみです」(マザー・テレサ) 法…

木魚歳時記 第305話

今生は 生きてなんぼや 寒卵 寒中の卵は、黄味が盛りあがり、ことさら養分(活力)も旺盛とされます。そんな、まだぬくもりのある卵を、熱飯にかけて喰ってしまうなんて・・・人間もずいぶんと身勝手なものです。 「見るもの聞くものすべてが仏なん」(大西 …

木魚歳時記 第304話

冴々と 楽百年が 夢の跡 一連の句(岡崎界隈)のしめくくりは「琵琶湖疎水記念館」にある「楽百年之夢」のレリーフです。資料館は、平成2年疎水事業の完成から満100周年を記念して建設されたそうです。 「流行とは、他人と同じ顔をする趣味である」(福…

木魚歳時記 第303話

石川や ここを先途と 大芝居 南禅寺の三門、つまり、「三解脱門」(さんげだつもん)は、かの大盗賊といわれた石川五右衛門が「浜の真砂は尽きぬとも世に盗人の種は尽きまじ」。と、辞世の句を詠んだことで有名です。 「人の心には仏になる種があるもんなん…

木魚歳時記 第302話

一滴の 一音冴ゆる 水路閣 水路閣とは水道橋のことです。蹴上の浄水場から分岐した疎水は、この「水道閣」をとおり、岡崎から哲学の道にそって松ヶ崎の浄水場へと至ります。南禅寺境内にある水路閣を眺めると、いつも、ローマの「水道」のことを思い浮かべま…

木魚歳時記 第301話

錆色の ねじりまんぽや 風花す 「漫歩」(まんぽ)とは歩行者用の小さなトンネルのことです。蹴上のインクライン(傾斜鉄道)の下にある「漫歩」は古色蒼然で、しかも、なぜかレンガ積みがねじれています。なじみ深いこの「漫歩」について、今は知る人が少な…

木魚歳時記 第300話

文明の 奇想発処に 風花す 京都の蹴上周辺は、明治の文明開化が京都に花開いた歴史に残るゾーンです。その中心は田辺朔郎博士による疎水の建設という、まさに「雄観奇想」の大事業でありました。 「もし最初成功しなかったら、 試みよ、再び試みよ」(ヒクト…

木魚歳時記 第299話

碑に 文武とありて 寒稽古 武徳殿(岡崎)の南門に、俳句結社「京鹿子」の創始者である鈴鹿野風呂先生の句碑があります。碑(いしぶみ)に「風薫る左文右武の学舎跡」と刻まれています。京鹿子に属したからには、一度はこの句碑を訪ね、俳句に詠みたいと思っ…

木魚歳時記 第298話

風凍る ペルトン式の 水車跡 田辺博士による疎水の建設と水力発電は京都の文明開化でした。約115年前に、この大事業を成し遂げた京都のパワーに脱帽します。岡崎周辺に吟行(現地句会)があり、しばらく関連の句がつづきます。 「僕の前に道はない僕の後…

木魚歳時記 第297話

寒紅を つけて鳥居の 改まる 平安神宮の大鳥居の丹塗が新装されました。「紅」は寒椿とか千両のようにマゼンタ(赤紫)に近い色なので、鳥居の色としては「朱」(黄赤)がそぐわしいのですが、季語との関係で「寒紅」となりました。でもなにか落ち着きません…

木魚歳時記 第296話

いやだなの ようこそとなる 去年今年 「元旦や去年の鬼が礼にくる?」。そんな川柳があったと思います。ぼくは人間嫌い症候群です。それもかなり重症です。今年こそは真人間になろうと、すこしは努力しましたが・・・やはり駄目のようです。変人と変態は焼く…

木魚歳時記 第295話

髭冴ゆる 正岡子規や 大海驢 俳句の世界では、自解(自分で自分の句を解説すること)は好まれないようです。ですから、このホームページなど「異質」の部類に入るのでしょう。でも、ぼくの俳句は俳句の体をなしませんから・・・解説しないとわからないので困…

木魚歳時記 第294話

大僧の 発酵したり 松七日 神社と違い、お寺は正月は暇です。ぼくは破戒僧ですから、お寺は大黒さんにまかせて、毎年「寺町を出で花街へ初詣」(ウソ)。しかしぼくが居場所を失って「発酵」しそうになるのは事実です。 「煩悩を只捨てなんと思うなよ渋柿す…

木魚歳時記 第293話

鏡餅 煮ても焼いても 叩いても かんかんになった鏡餅は難物です。表面が固いのは我慢できても、芯の芯まで頑固なのには往生します。でも叩いたりしては・・・ところで、こんなとき「往生」のことばを用いるのはどうして? 「魚は水を得て逝き、しかも水に相…