木魚歳時記 第3877話

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 新院はお気づきの様子であったが、格別やかましくお禁じにもならないのを幸い、この時も一月あまり歌い明かしたものであった。このころ困ったことといえば、遊女くぐつ女(め)などのなかには用もない遠慮をして、
「わたしどもは新院の御所ではもったいなくてお伺いできませんわ」
などという者が時々あったことである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)561

        とれとれの酸つぱいトマト茗荷村

 「ボクの細道]好きな俳句(1626) 種田山頭火さん。「雨ふるふるさとはだしであるく」(山頭火)。 長旅で草鞋が擦り切れたのでしょうか? このように、山頭火さんには、「ふるさと」を詠んだ作品がいくつかあるようです。そのうちには、故郷の姉を訪ね、いくばくかの金子を恵まれ「たのむから早く去ってほしい」と、懇願されたとか・・「観世音菩薩の蓮台は 我等衆生を乗せたまふ」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 驢馬(ろば)1 何があろうと、彼は平気だ。毎朝、彼は小役人のようにせかせかした、ごつい、小刻みな足どりで、配達夫のジャッコを車に載せて行き、ジャッコは、町で頼まれて来たことずけや、香料とか、パンとか、肉屋の肉とか、二、三の新聞、一通の手紙などを村々の家へ届けて回る。(ルナール『博物誌』より)

 

木魚歳時記 第3876話

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 新院のありがたい心づかいを喜んだ四の宮はその時おん兄と鳥羽の田中殿に行って住んだ。兄上の手前をはばかりながらも、ちょうど歌の修行に油の乗り切った最中でもあり、歌い暮らす生活はやめられず、晩春首夏の好季の夕暮れに乗じて田中殿を抜け出し、同じ仲間と打ち合わせておいて、東三条から舟で乗り出して水上の短い夜をほととぎすのように歌い明かしたものであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)560

        東にぐりぐり浮かぶ雲の峰  東(ひんがし)

 「ボクの細道]好きな俳句(1625)  種田山頭火さん。「笠へぽつりと椿だった」(山頭火)。昭和7年4月4日、長崎の松浦方面を行乞して詠まれた作品だそうです。十日前ごろから体調をくずし、自身の行く末を思っての作品とも読み取れます。「大威徳王菩薩の曼珠には 無漏説法まどかなり」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 馬(うま)6 彼を見ていると、私は心配になり、恥ずかしくなり、そして可哀そうになる。彼はやがてその半睡状態から覚めるのではあるまいか? そして容赦なく私の地位を奪い取り、私を彼の地位に追い落とすのではあるまいか? 
 彼は何を考えているのだろう。
 彼は屁をひる。続けざまに屁をひる。

 

木魚歳時記 第3875話

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 新院は弟を理解し同情した。しかし、人々が放蕩(ほうとう)と呼ぶそんな生活が、弟の身を毒し、やがて破壊にみちびくのを恐れた。
 あたかもご兄弟のおん母がおなくなりになって、ご兄弟が同じ悲しみを分け合っている時機に、兄新院は十年ばかり年下の弟を誘って新院の御所へお呼び寄せになった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)559

        六畳に猫も仏も玉ねぎも

 「ボクの細道]好きな俳句(1624)  種田山頭火さん。「よい湯からよい月へ出た」(山頭火)。山頭火さんは、お酒も飲まれ、湯(温泉)につかることも好まれたようです。温泉に浸かって心ゆくまで心身の疲れを癒しかったのでしょう。「無辺身菩薩の焼香は 如来に供養し奉る」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 馬(うま)5 特に、彼が私を車に載せて引いて行ってくれる時に、私はつくづく彼に感謝する。私が鞭(むち)で殴りつけると、彼は足を早める。私が止まれと言うと、ちゃんと私の車を止めてくれる。私が手綱を左に引くと、おとなしく左に曲がる。わざと右に曲がるようなことをこともせず、私をどこか蹴(け)とばして溝へ叩(たた)き込むようなこともしない。

 

木魚歳時記 第3874話

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  朝晩ひとり歌い暮らしつつ十二、三になっていたが、十五のころには本式に歌う志を立て、その後は遊女や、くぐつ女(め)、さては専門の歌い手などを歌い相手として自由に楽しく交友した。
 格式ばらない庶民の自由さ、庶民生活の情愛ゆたかな楽しさをほんとうに味わい知って居られる上皇にとって、庶民こそまさしくふるさと人のような存在であった。
 み位を心ならずも近衛天皇にお譲りになった院のおん兄崇徳天皇は、新院となって、日ごろ歌い暮らしてわずかに身を慰めている弟の不満とさびしさとをはじめて理解することができた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)558

        汗血の馬を盗みに行くやうだ  

「ボクの細道]好きな俳句(1623) 種田山頭火さん。「鉄鉢の中へも霰」(山頭火)。これも多くの人に膾炙(かいしゃ)されでいる代表句の一つでしょう。前作品に比べて自然詠の色彩が強い反面、鉄鉢(てっぱつ)の中にはねる霰(あられ)の音が聞こえてくるような力強い作品です。 「三昧王菩薩のてんげんは 虚空海会に散乱す」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 馬(うま)4 いったい、こなことが彼には嬉しいのだろうか。
 わからない。
 彼は屁をひる。

木魚歳時記 第3873話

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(二)おん母待賢門院の寵はもはや美福門院にうつっていた関係もあり、また四の宮のこととして、少年時代はうち捨てられた境涯で、専ら乳母お二の位の手に委ねられた。
 歌わずに居れないさびしさに、偶然にも生涯の守り本尊となった歌菩薩に奉仕しはじめたのは十四、五のころからである。異常に熱心なものに徹しないではおかなぬこり性はこのころから発揮した。
(佐藤春夫『極楽から来た』)557

        やるならば八月はじめの午の刻  午(うま)

「ボクの細道]好きな俳句(1622) 種田山頭火さん。「うしろすがたのしぐれてゆくか」(山頭火)。山頭火さん作品の中でも、最も、愛される作品といえるかも? 読者の思いが、山頭火さんの人生行路とオバーラップするからです。「華厳王菩薩の銈のおと 唯心法界すみわたる」(梶原重道『菩薩曼荼羅』) 

 馬(うま)3 だから、私は彼に燕麦(えんばく)でも玉蜀黍Tとうもろこし)でもちっとも惜しまずに、たらふく食わせてやる。からだにはうんとブラシをかけ、毛の色に桜んぼのような光沢(つや)が出るくらいにしてやる。鬣(たてがみ)梳(す)くし、細い尻尾も編む。手で、また声で,機嫌をとる。眼を海綿で洗い、蹄(ひづめ)に蝋(ろう)を引く。

 

木魚歳時記 第3872話

 

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 上皇は震怒遊ばされ、清盛に命じて経宗、惟方二人を禁中にからめ捕えさせ、経宗を阿波、惟方を長門国へ流した。永暦元年三月、乱後、百年も経たない時であった。
 上皇が震怒あらせられたのも道理。深く庶民を愛し、庶民の生活にあこがれた上皇にとって、街の眺めこそこの上なく楽しいものであり、街上の老若男女こそふるさと人のようになつかしいものであったのだから。
(佐藤春夫『極楽から来た』)556

        七輪と団扇と炭と焼魚

 「ボクの細道]好きな俳句(1621) 種田山頭火さん。「ふりかへらない道をいそぐ」(山頭火)。岐路をすぎたとて、行乞の暮らしが変わるわけではありません。同じ年に「秋風の石を拾ふ」があります。山頭火さんから<拾う>行為は消えることなく続くのです。さて、ブッダの言葉に続き、梶原重道師の「偈(うた)」をいくつか掲載させていただきます。種田山頭火さんの俳句とのコラボをお楽しみ下さい。「文寶蔵菩薩のふえの声 三解脱門の風すゞし」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 馬(うま)2 彼を車につける度ごとに、私は、彼が今にも唐突な身振りで「いやだ」と言って、車を車を外してしまいはせぬかと思う。どうして、どうして、彼は矯正帽でもかぶるように、その大きな頭を上げ下げして、素直にあとずさりをしながら、轅(ながえ)の間にはいる。

 

木魚歳時記 第3871話

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 それ故、乱後、経宗、惟方は天皇の威をかりて上皇を政治に関与し奉らしめず、専ら天皇の親政を策して、上皇をひところ藤原顕長(あきなが)の八条河原の邸に幽し奉った。
 上皇は顕長の邸にあって、たまたまその邸にあった桟敷から日夜、往来の人々をご覧になってお喜びになり、時には下民をお呼び寄せのこともあったのを経宗、惟方は天皇の命と称して桟敷を外部からの板で釘づけにして上皇の視界をさえぎり奉った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)555

        いぼむしり斧が外れたどうしやう

 「ボクの細道]好きな俳句(1620) 種田山頭火さん。「焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか」(山頭火)。これまでの日記を焼き捨てたことは前述しました。その頃、カルモチン自殺も試みたとも伝えられています。山頭火さんにとって生涯の岐路であったと推察できます。* 信は財であり 戒は財であり 自分に恥じること 他人に恥じること 教えを聞くこと 布施も財であり 智慧も合せて七財とする(ブッダ)

 馬(うま)1 決して立派ではない。私の馬は、むやみに節くれ立って、眼の上がいやに落ち窪(くぼ)み、胸は平べったく、鼠(ねずみ)みたいな尻尾(しっぽ)とイギリス女のような糸切り歯を持っている。しかし、こいつは、わたしをしんみりさせる。いつまでも私の用を勤めながら、一向逆らいもせず、黙って勝手に引き回されているということが、考えればかんがえるほど不思議でしょうがないのである。(ルナール『博物誌』より)