木魚歳時記 第3813話

f:id:mokugyo-sin:20190605064328j:plain

 門院おん百年の後は、同じ寝園に収め奉るのが鳥羽院のおん意志でもあり、この新御塔がやがては比翼塚になるなるものとの人々の予想に反して、門院は遺骨を父祖三代の好因縁のある隆信に守らせて高野山の寺に渡せとの遺言があって、それがいま実現されているのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)501

        銀匙に終のモナドやレモン水   匙(さじ)  終(つい)

 「ボクの細道]好きな俳句(1564) 今井千鶴子さん。「転びても花びらのごと七五三」(千鶴子) 「七五三」の行事は、11月の満月の日である15日に行われることが多いようです。ですから、この「花びら」はさくらの花ではない。さて、今朝、ベランダから河原(高野川)に野生の鹿が歩いているのを見ました。山端(やまばた)の山中に「ねぐら」があるようです。最近は、下流の「三条大橋」あたりまで遠出をするそうです。野生のシカを見るなんて・・ともかく感動しました!

 鳩(はと)8
「 二羽の鳩が、ほら「さあ、こっちきて、あんた・・さあ、こっちきて、あんた・・さあ、こっちきて、あんた・・」

 

木魚歳時記 第3812話

f:id:mokugyo-sin:20190604050742j:plain

(四)平治の乱の翌年、永暦(えいりゃく)元年の十二月、十九歳の隆信は、その十一月二十三日に亡くなられた美福門院のおん遺骨を高野山に納める僧俗一行の中心となって、伏見草津から出る未明の船のなかにうずくまっていた。
 六年前に先立たれた鳥羽院は、あらかじめ菩提寺として安楽寿院を建立し、あまつさえ寝園の場所をさえ相し置かれたから、おん標(しるし)としてその上に新御塔というのを造り、なかに密教の阿弥陀仏を泰安した。
(佐藤春夫『極楽から来た』)500

        放牧の牡牛の群れや雲の峰

「ボクの細道]好きな俳句(1563) 今井千鶴子さん「昔より美人は汗をかかぬもの」(千鶴子) ふむ。そんなものでしょうか? ボクにはなんともわかりません。さて、以前「変な生きもの」として、ハシヒロコウ(嘴広鸛)をご紹介しました。獲物が接近するまで「またたき」もせず待ち受ける「鸛」(コウ)の一種です。ひょうきんな顔が忘れられず・・ネットで検索しました。やはり、期待に外れない愛嬌のあるツラ構えをしていました(写真)。

 鳩(はと)7  彼らは一生、いつまでたっても、ちょっとばかりお人好しである。彼らは、嘴(くちばし)の先で子供が作れるものと頑固に思い込んでいる。 それに、全くしまいにはやりきれなくなってくる・・しょつちゅう喉(のど)に何か詰まっているという、例の先祖伝来の妙な癖は。

 

木魚歳時記 第3811話 

f:id:mokugyo-sin:20190603060626j:plain

 父祖の才能を受け、また幼少で苦労した隆信が早熟であったのは怪しむには足らないが、彼は早く十二、三歳のろから、後年その方面に巨匠として幾多の名作を遺している画道、特に肖像画家としての天才を発揮しはじめて、その神童のほまれは上流社会に喧伝(けんでん)されていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)499

        草むらのこの花かはい踊子草 

 「ボクの細道]好きな俳句(1562) 石原八束さん。「雁も舟も海峡わたるとき迅し」(八束) 海峡では、潮の流れも速いし、船舶は、ひとつ間違えば海難事故ににつながるわかりません。ですから、海峡を船が通過するときも、緊張感に包まれて疾(はや)く過ぎるように感じるというのです。ですから、海峡の要所には灯台を設けて目印としたのでしょう。これを比喩として、雁(かり)が海峡を渡るときも、「海峡わたるとき迅し」とされたのでしょうか? 

 鳩(はと)6  そのさまざまな鳩も、初めは面白いが、しまいには退屈になってくる。 彼らはひとところにじっとしていろ言われても、どうしてもそれができないだろう。そのくせいくら旅をして来ても、一向利口にならない。

 

木魚歳時記 第3810話 

f:id:mokugyo-sin:20190602070531j:plain

 一般にその時代の縉紳家(役人を出す知識階級の家)の子弟は早熟早老の傾向があったもので『源氏物語』などのは物語の誇張か、もっと極端であるが、十二、三歳で異性を知るようなのは普通であったらしい。実朝なども十歳以前に詠歌も一通りには熟達していたし、十三歳ごろには妻女の選定をも自分でしたといわれている。武家の少年が十二、三歳でよく一軍を指揮したのは人の知るとおりである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)498

      マーガレットとても陽気な外国人

「ボクの細道]好きな俳句(1561) 石原八束さん。「花に寝て散りくる花を雪崩とも」(八束) さくら雪吹の真ん中で、大の字になると、まるで、飛花落花が雪崩(なだれ)のように押し寄せてくる・・なんとも絢爛豪華な昼寝であります。最近は、花見の席を確保するような風景が少なくなりました?

 鳩(はと)5 こっちの一羽が、異郷の空から、一通の手紙を持って帰って来て、さながら遠く離れた女の友の思いのように飛んでくるにしても(ああ、これこそ一つの証拠!)

 

木魚歳時記 第3809話 

f:id:mokugyo-sin:20190601050910j:plain

 しかし九歳で介に任じられ、それも遥任(ようにん)でゃなく現地に赴いている。つづいて十一歳で守になるような順調な昇進は、その上役や下役がこの可憐な少年をよくいたわって任務に尽くしたからに違いないが、その事はただ、家柄のせいばかりではなく、そんな少年でありながら、隆信はりっぱに一人前の仕事のできる才能であったものと思われる。
 事実、十歳前後でのその任官の途上でものしたという歌詠などを見てもすでに一人前の詠み口を見せている。
(佐藤春夫『極楽から来た』)497

        極楽のごとき八十八夜かな  

 「ボクの細道]好きな俳句(1560) 石原八束さん。「夕焼けは羅殺の兵を天におく」(八束) 「羅刹」(らせつ)は、仏教説話に登場する、足が速くて大力の悪鬼のことです。ついにはブッダ(釈迦)に帰依して守護神に変わります。夕焼けの見事さを眺めていると、作者は、この「羅刹」(らせつ)の率いる軍隊を連想したというのです。作者の発想力の奔放さに敬服いたします。

 鳩(はと)4 そこの二羽が互いに夢中になって挨拶(あいさつ)を交し、そして突然、互いに絡(から)み合うように痙攣(けいれん)するにしても・・ 

 

木魚歳時記 第3808話 

f:id:mokugyo-sin:20190531064211j:plain

 父祖二代にわたって皇后宮想少進として美福門院に仕えたばかりか、母方の祖母は門院の乳母(めのと)であり、母その人が門院の女臘(上位の女房)であった縁故から、門院が隆信を幼少から愛し身近に感じていたのは事実であり、長ずるに従ってますます隆信を寵遇(ちょうぐう)し、そのために隆信の官位も昇進が早かったのも事実であろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)496

       仏手柑おいけとばすなけとばすな

 「ボクの細道]好きな俳句(1559) 石原八束さん。「息絶えてまた生きかへる秋の暮」(八束) むむむ。「生きかへる」とは?  ようやく涼しくなって生き返るようだ? 悪い夢でも見てウナされた? 台風などで、農作物の不作を覚悟していたが、案外、なんとか、切り抜けられそうだ! 人間のことではない? まっ、作意は、作者に聞いてみなければわかりません。

 鳩(はと)3  夕方、森の中で、ぎっしりかたまって眠り、槲(かしわ)の一番てっぺんの枝がその彩色した果実の重みで今にも折れそうになるにしても・・

 

木魚歳時記 第3807話 

f:id:mokugyo-sin:20190530063835j:plain

 隆信は九歳のころには上野介(こうずけのすけ)に任じられ、つづいて越前守となり、仁平(にんぺい)二年十二月には十一歳である。そんなに幼少に任官されるのは、その家柄に応じての当年の風習で別に不思議もないが、仁平三年四月、十二歳の彼が若狭守に転任しているのは、もしや、美福門院がこの少年が母とめぐりあう機会のありそうな地に送る心づかいに出たはからいであったのではなかろうか。別にその証拠とてないけれども。
(佐藤春夫『極楽から来た』)495

        六月は獲りたてアユの炭火焼

 「ボクの細道]好きな俳句(1558) 石原八束さん。「くらがりに歳月を負ふ冬帽子」(八束) 山村の暮しの風景が浮かびます。農作業の道具とか作業の衣服にまじり、柱にかけた古びた冬帽子。ああもうどれくらい使い古してきたことでしょうか。家人の寝静まった暗がりの中で、冬帽子がポツリと掛けられています。さて、世の中これからどのようになるのか! 最近「ほどほどに」という言葉がボクの心を占めるようになりました。あっ、気づくのが遅すぎたか(笑)

 鳩(はと)2 彼らの落着きのない頸(くび)は、指に嵌(はめ)たオパールのように、生きたり、死んだりするにしても・・