木魚歳時記 第3806話 

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 隆信とやらいったあの子は、今幾つになっているのであろうか。指を折ってみると七つか八つであろうか。何としても任官にはまだちと早かろう。門院はいつしか隆信は忘れて、わがひとり子の病弱に生まれついてついに夭折(ようせつ)した者の最も健康であった七つ八つの一時期の嬉戯(きぎ)の姿をそぞろに思い浮かべているのであった。
 それにしても、おとなしく、しなやかに見えながら加賀はふらちなわがまま者である。そんないたいけない子供に苦労をかけているとは。
(佐藤春夫『極楽から来た』)494

       たんぽぽや寅さん映画最終編

 「ボクの細道]好きな俳句(1557) 石原八束さん。「雪の上を死がかがやきて通りけり」(八束) 雪におおわれた北の大地では、鳥類、北キツネに限らないで、餌に餓えた猛禽類、時としては人間まで、誤るならば「死に至ること」もありうるのでしょう。大自然の厳しさを知り、大自然の掟(おきて)を学び得た者だけが、雪の上をかがやいて通り抜けることができる・・と、そこまで作品を大げさに読むか? ありがままに、雪国で見かけた出棺の一場面と読むか・・それは読者の自由であります。

 鳩(はと)1 彼等は家の上で微(かす)かな太鼓のような音を立てるにしても・・
日蔭から出て、とんぼ返りをし、また日蔭に帰るにしても・・


 

 

木魚歳時記 第3805話 

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(三)門院は今までにただ二度見たばかりであったが、すっかり気に入ってその母親をうらやましいいばかりに思ったその子を、まのあたりにありありと思い浮かべつつ思うのであった。
 あんな元気のいいにこにこした子がしょげているとか、今はどんあいやな夢を見つづけているものやら、慰めに行ってやりたいような気もする。
(佐藤春夫『極楽から来た』)494

       さつきからひときは騒ぐ揚ひばり 

 「ボクの細道]好きな俳句(1556) 石原八束さん。「薪能観てきて籠る秋簾」(八束) 薪能の晴れ舞台から帰り、秋簾(あきすだれ)の和室に籠るとは・・作者は、粋な時代に生きられたと羨ましく思います。「籠る」とあります、その場所が・・我が家なのか、はたまた、それらしき粋な処なのか、それは読者の興味をそそられるところではありますが・・

 小紋鳥(こもんちょう)7
   いったい、どうしたのだ?
   彼女は胸に一物あって、芝居をやっているのである 。
   彼女は野原に行って卵を産んできたのだ。
   私は気が向けば、そいつを捜しに行ってもいい。
   彼女は、佝僂(せむし)のように、埃(ほこり)のなかを転げ回っている。

 

木魚歳時記 第3804話 

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 その後、加賀がまだ俊成の家にいたころ、門院はもう一度あのよい子の育ったところを見せに来いと、加賀につれて来させた。二、三年前の夏の日であったが、その子は遊び疲れたところをつれて来られたものと見えて、
「もったいない、もったいない」
 と、しきりに恐縮する母親にしんしゃくもなく、門院の膝をまくらにぐっすりと一ねむりして目をさますと、
「ああ美しい夢を見てよかった」
 と、目をこすりこすりして無邪気に大きなあくびをしたものであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)493

       六月の空と空気と磨崖仏 
「ボクの細道]好きな俳句(1555) 石原八束さん。「大阪の夜霧がぬらす道化の鼻」(八束) 「道化」(どうけ)と称される路上芸人、なかんずく、夜の道化者の姿は少なくなりました。昔、道化人の「かぶり物の鼻」が夜露に濡れることがあったでしょう。さて、「俳句王国がゆく」という番組で、「花は葉にいったり来たり父の恋」? の作品と出会いました。父(高齢)と俳句をたしなむ中年の娘、幸せな親子です・・

 小紋鳥(こもんちょう)6 時々、彼女は庭に出て、どこかに行ってしまう。お蔭で、平和な家禽(かきん)一同をいっときホッとさせる。ところが、彼女はまたやって来る。前よりもいっそう喧(やかま)しく、騒々しい。そして、無茶苦茶に地べたを転げ回る。

 

木魚歳時記 第3803話 

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 というのはそのふびんな子は、むかし加賀が旧主の子供好きを知って、この初子(ういご)のお宮詣での時、自慢でその子を見せに来たことがあった。まことに自慢してもよい美しく、かわいらしい子で、人みしりもせず、門院の手のなかでにこやかな笑顔を見せたものであった。その笑顔を今また思い出す。
(佐藤春夫『極楽から来た』)493

        山滴る青い煙を吐きながら

 「ボクの細道]好きな俳句(1554) 石原八束さん。「胸さびしゆゑにあかるき十三夜」(八束) 淋しい思いの残る出来事でもあったのでしょうか? 空を見上げると、家路につくまでづっと十三夜の月が煌々とかがやいていた・・というのです。さて、ドローンに小さな仏像を載せて飛行させる試み(テレビ)を見ました。仏教の教え「ミダ来迎」(臨終にアミダ仏のお迎えがある)をイメージした試みだそうです。その発想のユニークさに驚きました。

 小紋鳥(こもんちょう)5 そして、彼女はひっきりなしに、剣の先のよいに空気を擘(さ)く調子外れの鳴き声をたてている。

 

木魚歳時記 第3802話 

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 この高貴な美女は生来特別の子供好きであった。さればこそ義理の子雅に新王が大納言経実の女に生ませた守仁をも進んで引き受け、手しおにかけ喜んで育てた。その時は将来この子を天皇になど野望のもない無償の行為であった。
 いま為経の子の話を知って悲しんだのは、この子供好きの本性にもよるが、他にも少し理由があった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)492

         夏めくや犬が三匹じゃれている

 「ボクの細道]好きな俳句(1553) 石原八束さん。「湯豆腐やいとぐち何もなかりけり」(八束) 何か面倒なことが起こりましたか? 家族か、仲間同士か、数人が湯豆腐をつつきながら、いいチエが出ないか額(ひたい)を寄せています。さて、ベランダには「金の生る木」(写真)もあります。ラッスラ・ポルツラケア(花月)という名前だそうです。それにしても、つつましく暮らす寓居に「金の生る木」とは(笑)

 小紋鳥(こもんちょう)4 そんな風で、頭を青く染め、ちょび髭(ひげ)をぴくぴくさせ、いかにも兵隊好きらしく、彼女は朝から晩まで独りでぷりぷりしている。そうして理由もなく喧嘩(けんか)を吹きかけるのだが、多分、しょっちゅうみんなが自分のからだつきや、禿(は)げ上がった頭や、へんに下の方についている尻尾(しっぽ)などを笑いものにしているよいな気がすのだろう。
 

 

木魚歳時記 第3801話 

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 俊成は今さらそんな女あ追わないといいながらも、子供たち、わけても隆信のまだ十にも子が行方も知らない母を慕うのには、ほとほと困窮(こんきゅう)している。
 もとの女房加賀お同じくもとの少進(しょうしん)、為経との子であり、また古い少進為忠の孫に関するこんなふびんなうわさが、自然と美福門院の耳にも達して彼女をひどく感動させた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)491

        恋猫のそろりそろりとデカダンス

 「ボクの細道]好きな俳句(1552) 岩淵喜代子さん。「水中に足ぶらさげて通し鴨」(喜代子) 「通し鴨」とは、渡りをしない「居つき鴨」のことです。「足ぶらさげて」に作者の思いが込められます。さて、ベランダに、鉢植えの梅(写真)があります。大きくなりました。天神さんの縁日で買って来た苗木が育ったのです。今年は葉っぱが大きい?

 小紋鳥(こもんちょう)3 それから今度は頭を下げ、からだを前かがみにして、痩(や)せっぽちの脚に全速力を出して走って行くと、一羽の七面鳥が円く羽を広(ひろ)げているちょうどその真ん中を狙(ねら)って、堅い嘴(くちばし)で突っかかる。この気どりやが、ふだんから癪(しゃく)に障(さわ)ってならないのだ。

 

木魚歳時記 第3800話 

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 為経に捨てられた恨みにか、罪もない幼な子を見捨ててひとり五条三位の家に家にあとがまとなった彼女であったが、俊成はさすがに両親に捨てられた寄るべのない子を引き取ってねんごろに育てていた。その恩義を思わず、あの浮気な三十女は、家人の門に出入りしていた若狭とかの若者の七つも年下で地方の大きな荘園の主とやら誘うままに、春風とともに都を抜け去った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)491

      鳴袋ぷくり蛙の目借り時  蛙(かえる)

「ボクの細道]好きな俳句(1551) 岩淵喜代子さん。「鵜の列の正しきバレンタインの日」(喜代子) 取り合わせ句です。バレンタインの日(春季)と鵜(夏季)の季重ね? 「バレンタイン」が強いので問題はない? さて、寓居の壁(ベランダ)に、でかいカミキリ虫(写真)を見つけました。ときおり野鳥の飛来することはありますが・・こんなに大きなカミキリ虫を見つけたのは初めてです。ひさしぶりに興奮しました! 自然がまだ残っている!

 小紋鳥(こもんちょう)2 雌鶏たち方では別になんにも言いはしない。ところが、だしぬけに、彼女はとびかかって行って、うるさく追い回す。