木魚歳時記 第3395話

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 「そんな心配なら無用だ。この生き別れが死に別れにならないとも限らないのだ。叔父が甥の門出を見送るに何の遠慮がいるものか。お前がまだおたずね者になったわけでもなし。でも出かけるのは夜明けの暗いうちにしよう。やはり人目につかない方がよいから」
(佐藤春夫『極楽から来た』)99

      わが袖に仏ぞおはす草虱

 「ボクの細道]好きな俳句(1143) 田中裕明さん。「遺句集といふうすきもの菌山」(裕明) 遺句集。そうした類のものは、いつ、だれが作るのでしょうか? 作者が生前に「自分史」として? 作者の遺族とか知己が「遺句集」として? 著名な作家は別として、たいていは前者でしょう。ボクも、手製の句集(自分史)を20冊ばかり作りました。内容も外見も、まことに「うすきもの」ばかりです(汗)。

 

木魚歳時記 第3394話

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 叔父は品々を取りそろえ旅のしたくをしてやりながら、道順や道中の心得などを子にさとすようにいいきかすのでである。柄こそ大きいが、定明はまだ世間見ずの十七歳であった。
「心細かろう。わしが福渡まで見送ろう」
「大丈夫です。ひとりで行けます。あとで叔父さんが迷惑しますから」
(佐藤春夫『極楽から来た』)98

      山姥も捨子もからめ野分来る

 「ボクの細道]好きな俳句(1142) 田中裕明さん。「空へゆく階段のなし稲の花」(裕明) 「稲の花」で、作者がターミナルの状況であることは明らかです。その切なさが読者に伝わります。さて、ボク自身がターミナの状況に置かれたとき、俳句など作れるか? 上手下手はべつとして、ボクも挑戦してみたい気持ちはありまが、はたしてどうなりますか?

木魚歳時記 第3393話

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「津山へ出ては危ない。福渡から出で川口で瀬戸内をのぼる船をさがすのだ。さて淀の川口でまた船を見つけて伏見の鳥羽まで行けばもう都だ。これだけの路銀があれば十分に間に合う。必要な金は惜しむな。金子は人に見られまい。気をつけよ」
(佐藤春夫『極楽から来た』)97

     蜩に釣られてたどる桃源郷  蜩(ひぐらし)

 「ボクの細道]好きな俳句(1142) 田中裕明さん。「正午すでに暮色の都浮寝鳥」(裕明) どうしても作者の体調とオーバーラップして鑑賞してしまいます。「暮色の都」とは、勤務(作者の)休憩時間であるはずの正午、すでに街は暮色の気配。「浮寝鳥」とは、正午すでに作者の身体の状況は浮寝鳥。とても切ない気持ちになります。

 

木魚歳時記 第3392話

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 「できてしまっては詮議してもはじまらない。さ、これを持って一刻も早く弓削から出て行くのだ。漆殿は破傷風かも知れぬ。死んでからではもう遅い。今のうちに早く都へあがるのだ。
(佐藤春夫『極楽から来た』)96

     病葉の己が内なる寂光土

 「ボクの細道]好きな俳句(1141) 田中裕明さん。「一人だけ子を連れてゆく麦の秋」(裕明) 田中裕明さんは白血病を宣告され早世されたと伝えられています。そうしたことをかさねあわせて掲句を鑑賞してみると・・その状況が、作者の気持ちがひときわ切々と伝わってまいります。

 

木魚歳時記 第3391話

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 うろたえはじめた定明は、思いあまってほかに相談する相手もなく、額の傷をはちまきで包んで、また叔父をたよって行くと、律義者の叔父ははじめ顔色をかえて厳しくしかったが、やがて定国の遺した藤原宗輔あての手紙を取り出し、かねて義兄から預かった金子を残らず手紙にそえて定明に渡すと、
(佐藤春夫『極楽から来た』)95

      僧堂の壁に青ざむ火取虫

 「ボクの細道]好きな俳句(1140) 田中裕明さん。「亡き人の兄と話して小鳥来る」(裕明) こうした異次元の時間の流れを作品に仕上げるには優れた感性が求められます(そう思います)。摂津幸彦さんと比べることは失礼かと思いますが、幸彦さんの作品が読者の「心の襞(ひだ)」に触れる思いがするとするならば、裕明さんの作品は読者の「心の底」にストレートに迫る気がいたします。

木魚歳時記 第3390話

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 弓削では、初め稲岡の仕返しや国衙(こくが)からの沙汰を覚悟していたのに、一向どちらもないのが、かえってうす気味悪くて、様子をさぐっているうち、時国が傷のため枕もあがらないと知れたのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)94

      たましひの頭にのぼりたるかき氷

 「ボクの細道]好きな俳句(1139) 田中裕明さん。「小鳥来てこの膝小僧だけまるし」(裕明) 「この膝小僧」? 「子の膝小僧」? やはり前者(この)でしょうか? ふと何気なしに(自身の)膝小僧を撫でるとき、庭に、愛らしい小鳥の訪れがありました。日ごろその存在すら忘れているわが膝小僧への感謝の気持ちを詠ったものと読みました。

 

木魚歳時記 第3389話

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 武士団の私闘は当時ありふれた事件で国衙(こくが)でも見逃していたが、事、押領使を襲いこれを殺害したとあっては不問にはすますまい。国衙が定明を求めるのは観学得業のいうとおりである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)93

      短夜の脳にざらつく電子音

 「ボクの細道]好きな俳句(1138) 田中裕明さん。「似て非なるもの噴煙とよなぐもり」(裕明) まったく異質のものを並べて、その二つが違うと詠うにはある意味で勇気がいります。しかし、そういわれてみると改めてその二つの相違を考えてみようとするから不思議です。文芸とはそうした理屈以外の心の働きに支えられて成立するのでしょうか。