木魚歳時記 第3734話 

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 かくて体仁親王は近衛天皇となられ、鳥羽法皇を本院、崇徳上皇を新院と申し、得子は天皇の即位とともに皇后美福門院となった。
 崇徳天皇皇太弟にはこのころ既に重仁親王があり、皇太子というのも天皇のお心では重仁親王のつもりであるが、法皇は体仁親王を皇太子に立てている点がややこしい。法皇ははじめ天皇の錯覚を利用し後には特に皇太弟と変えさせて法皇の意志を明確にした。体仁新王は正しく崇徳天皇の異母弟であるから、崇徳天皇はまんまと一杯ひっかかったような気がしたかも知れない。ここに新院の本院に対する憤りが積み重なった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)428 

        春風が険しい藪をすり抜けて 

 「ボクの細道]好きな俳句(1484) 矢島渚男さん。「水を出しものしづまりぬ赤のまま」(渚男) 「赤まんま」は秋の季語となります。さて、「水を出し」に悩みました。季節柄、田への引き水のことではない。となれば豪雨の後の排水? これでは風情がない。されば、水道水をばザザザ・・なんともなく味気がない。まっ「ものしづまりぬ」で読者はいろいろと想像を・・さて、パンダ。パンダの人気は衰えることを知りません。それにしてもあの無味乾燥を絵に描いたようなササをよく食べ続けるものだと感心します。昔、生存競争に敗れて、ほとんど栄養価のないササの分布地域に追いやられ・・笹を食べ続けるパンダに幸せあれ。