煩悩として排除されない愛、つまり「慈悲」(じひ)について考えましょう。この慈悲の語源は、サンスクリット語のマイトリー(友愛)とカルナー(悲)の混成にあるとされます。
すなわち、慈悲とは「抜苦与楽」(ばっくよらく)、つまり「他者に安楽を与えるいつくしみ」を意味します。とりわけ、仏教が説く仏陀の<悲>は、マハー・カルナー(大慈・大悲)と呼ばれるように「①自分が、②誰かに、③どれだけ」のことをするか。この三条件を意識しない<いつくしみ>であります。つまり「無縁の大悲」(無条件の大きな愛)を説くものです。仏がすべての衆生を苦しみから解脱させようとする絶対的な愛が慈悲なのです。すなわち「慈悲」とは、自分自身の悟りと同時に、他の者を悟りに導く菩薩の行為「菩薩道」に通じるものであります。