木魚歳時記第4032話

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 清盛は福原の別荘に上皇や天皇をはじめ貴顕の多くを招請して宋人らとの接近を企てたり、厳島の内侍(清盛は巫女たちをそう呼んだ)に宋人の装いで舞踏させるような事もした。
 これらは単に清盛の急進的なハイカラ趣味の発露か、それともこういう方法で大いに大陸趣味を鼓吹し外来文化の宣伝によって、彼が志している輸入品の販路を広めようとした商人根性か、それとも『太平御覧』などを参考に建設しようとした新文化の素地を拓いたと見るべきか。
(佐藤春夫『極楽から来た』)701

       相棒はいつもニコニコ草の花

 「ボクの細道]好きな俳句(1778) 有馬朗人さん。「千本の氷柱の中にめざめけり」(朗人) 氷柱(つらら)とは違いますが・・山口県の秋芳洞で千本(それ以上?)の鍾乳石が垂れさがる壮観を目にした時の驚きは忘れられません。気が遠くなる「時空」のスペクタルに遭遇した驚きでした。

 庭のなか10  アスパラガス・・・あたしの小指に訊(き)けばなんでもわかるは。

 

木魚歳時記第4031話

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 宋船が福原に来り、たやすく外国に出さない秘籍、勅語の百科群典ともいうべき『太平御覧』三百六十巻を清盛に贈った。
 清盛がその写本を手許に、原本は朝廷に進献したことや大宰府の興隆を事実などに鑑(かんが)み、天がもし清盛にかすに寿をもってしたならば彼の偉大な夢は必ずしも実現しなかったでもあるまい。
(佐藤春夫『極楽から来た』)700

        大蛤そいつはじつに美味しさう

 「ボクの細道]好きな俳句(1777) 有馬朗人さん。「あやとりのエッフェル塔も冬に入る」(朗人) ボクは男(昔)ですから「あやとり」はいたしません。あの遊びは子どものころに眺めていましたが頭がクラクラしてきた記憶が残っています。なんで、あんな、ややこしい遊びを・・しかもエッフェル塔で?

 庭のなか10  アスパラガス・・・あたしの小指に訊(き)けばなんでもわかるは。

 

木魚歳時記第4030話

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 清盛が福原に別荘を設けてのはその地の風光を愛したのも一原因に相違ないが、大輪田泊(おおわだのとまり・今の兵庫)が海隆の要衝であり、特に平家の地盤たる西国との連絡上、ここの築港や音戸の瀬戸の開鑿(かいさく)などに力をそそいだので、この事実をもって直ちに、彼の海外貿易の遠大な規模の一部とはいえまい。秀吉の大陸征伐と同様に、清盛の宋との盛大な貿易もまた彼の新文化建設の夢の一端であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)699

        裸木のごつんごつんと仁王立    

 「ボクの細道]好きな俳句(1776) 有馬朗人さん。「初日頭上常に遥かに父への距離」(朗人) 近くて遠きは父子の仲なんて・・そんなことはないですよね! でもなぜか、息子の願いは、お母さん経由で父親に伝わるケースもあるようです。

 庭のなか9  分葱(わけぎ)・・・くせいなぁ! 大蒜(にんにく)・・・
        きっと、また石竹(せきちく)のやつだ。

 

木魚歳時記第4029話

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 厳島の祭神は竜神の女であるが、清盛の祈願を受けて竜王を生ませようとしたため、安徳天皇はそのときから、すでに海中に入るべき御運命であったんどと当時の人々は本気でそんな事をもいったものであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)698

       冬の夜は酒と『賢治』とiPad

 「ボクの細道]好きな俳句(1775) 有馬朗人さん。「光堂より一筋の雪解水」(朗人) 「光堂」(ひかりどう)とは、中尊寺の金色堂(こんじきどう)のことでしょう。「降り残してや光堂」。「あつめてはやし最上川」の二作品のイメージが重なって、この作品の雰囲気を盛り立てます。こんなのを「本歌取」(ほんかどり)というのでしょうか?

庭のなか8 ほうれん草・・・酸模(すかんぽ)っていうのは、あたしのことよ。

      酸模(すかんぽ)・・・うそよ、あたしが酸模よ。

 

木魚歳時記第4028話

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 天皇ご降誕のに当たって御安産祈祷の法師たちに立ちまじって御白河院も御臨席あった。御安産の喜びに見さかいもなくなった清盛は諸法師と同様に御白河院にもお布施を出したので、人々は恐縮したが上皇はこれを受けて、傍人に、
「我は修験者としても一人前に渡世できる」
 と笑い興じて語られた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)698

        綿虫やはつきりしない脳細胞

 「ボクの細道]好きな俳句(1774) 有馬朗人さん。「イエスより軽く鮟鱇を吊りさげる」(朗人) 鮟鱇(あんこう)は図体が大きくて重いのでたいていは「吊るし切り」の方法で解体されます。イエスの十字架像はたいてい「いたましく」十字架の中心で首を垂れておられます。イエスは、衆生のすべての罪を背負っておられるので,アンコウの重さなど比較にならない。

 庭のなか7 菫(すみれ)・・・おや、あなたたちはみんな橄欖章(かんらんしょう)を貰ってるのね。
      白い菫・・・だからさ、なおさら、控え目にしなくちゃならないのよ、あんたたちは。
      葱(ねぎ)・・・あたしをごらん、あたしが威張ったりして?

 

木魚歳時記第4027話

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 清盛は次女徳子を高倉天皇の中宮に入れて徳子の皇子降誕をしたのも厳島神社であった。そうして懐妊の兆を知るや安産の日まで月詣でを欠かさなかった。説をなす者は清盛は厳島神社の巫女を情人としていたから、御安産月詣でを口実に彼女に通ったのだと。ともかくこうしてご降誕あったのが安徳天皇であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)697

        痛くない病気もあるよ稲の花

 「ボクの細道]好きな俳句(1773) 有馬朗人さん。「あをあをと鶴を織りゐる雪女」(朗人) 白と青のコントラストが効いています。さて、ボクは狗日(くじつ)、つまり、和暦でいうと昭和12年1月2日生まれです。すなわち、1212(和暦)年の生まれとなります。法然上人さまは1212(西暦)年に遷化(せんげ)になられました。年が明けるまで、まだまだ、余日がありますが(笑)。

 庭のなか6 蜜蜂(みつばち)・・・さ、元気を出そう。みんな、あたしがよく働くって言ってくれるわ。
       今月の末には、売場の取締りになれるといいけれど。

 

木魚歳時記第4026話

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 この建築と、ここに清盛が一門の人々とともに金泥で『法華経』を書写して奉納したいわゆる平家納経の意匠を見る者は清盛の並々ならぬ文化的センスを疑わないであろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)696

        稲虫や悪人なほもて往生す

 「ボクの細道]好きな俳句(1772) 有馬朗人さん。「あかねさす近江の国の飾臼」(朗人) 「飾臼」(かざりうす)は注連(しめ)を張った臼(うす)のことで新年の季語となります。さて、ボクたち夫婦は、息子が寺を継いでくれてから、日本の各地を訪ねるバスツアーに参加した時期がありました。今、思えば、思い切って参加してよかった・・もうこの齢になると、バスツアーには参加できません。いまさら懐かしく思い出しています。

庭のなか5 薔薇(ばら)花・・・あんた、あたしを綺麗(きれい)だと思 て?
      黄蜂(くまばち)・・・下の方を見せなくちゃ。
      薔薇の花・・・おはいりよ。