木魚歳時記

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木魚歳時記 第3196話

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 「今日のことば」
    (小十郎の母は)
    何か笑ふか泣くかするやうな
    顔つきをした。
    子供らはかはるがはる
    厩(うまや)の前から顔を出して
    「爺ちゃん、早ぐお出や。」
    といって笑った。
     (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)17

 「ボクの細道」好きな俳句(945) 石田郷子さん。「木枯の大きな息とすれちがふ」(郷子) 木枯しというと寒々しいものです。それが作品では、何か、大きな守護神と出合ったような感じですから不思議です。仏教では「上求菩提」(じょうぐぼだい)と「下化衆生」(げけしゅじょう)と説きます。自らの悟りを求め、そして、他の者をも悟りに導く、という菩薩(ぼさつ)さまの行為のことです。そうです「木枯の大きな息」が、菩薩(ぼさつ)さまの行為に見えてきます。

       リビングにハミングありて秋の空

 

木魚歳時記 第3195話

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 「今日のことば」
    「婆さま、おれも年老(と)ったでばな、
    今朝まず生れで水(沢)へ入るの嫌(や)
    んだよな気するぢや。」すると小十郎の母は
    その見えないやうな眼をあげて
    ちょっと小十郎を見て
     (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)16

 「ボクの細道」好きな俳句(944) 石田郷子さん。「梅干すといふことひとつひとつかな」(郷子) もう幾度も紹介した作品です(だと記憶します)。莚(むしろ)を敷いて、梅の実を天日干しにするために、ひとつひとつ、ていねいに実の向きを並べ変えている婆さまの指先の動きが浮かんできます。しばらくは石田郷子さんの作品をご紹介します。

       かけ声の「ごはんですよ」と秋の昼

 

木魚歳時記 第3194話

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 「今日のことば」
    (それからしばらくして)
    一月のある日のことだった。
    小十郎は朝うちを出るとき
    いままで云ったことのない
    ことを云った。
     (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)15

 「ボクの細道」好きな俳句(943) 片山由美子さん。「照らし合ふことなき星や星月夜」(由美子) 星月夜の美しさには感動いたします。ところで、星たちのお互いの関係など考えたこともありませんでした。水の惑星、世界、日本・・その中で「唯我独尊」(ゆいがどくそん)。つまり「わたし」という存在はただ一つしかない。だから、ただ一つの輝きを大切にして精一杯にきらめこう。つまり「個性」の尊重を説くのが仏教なのです。

        老猫と独尊居士と猫じやらし

                   老猫(ろうびょう)

 

木魚歳時記 第3193話

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 「今日のことば」
    小十郎はどきっとしてしまひました。
    そばに寄って見ましたらちゃんと
    この前の熊が口からいっぱい
    血を吐いて倒れてゐた。
    小十郎は思はず拝むやうにした。
     (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)14

 「ボクの細道」好きな俳句(942) 石田波郷さん。「吹き起こる秋風鶴をあゆましむ」(波郷) 波郷さんの作品は、なぜか読者の心に迫ります。山口誓子さんの作品が、鋼(はがね)を打つて作る名刀のように強靭とするならば、波郷さんの作品は折鶴を織るような繊細さで迫る名品です。そして両人とも「上品上生」(じょうぼんじょうしょう)の秀句を生む名手です。比して「下品下生」の駄作(下記)を並べるのがボクです(汗)。

      偕老の同穴したりちんちろりん 

                  偕老(かいろう)

 

木魚歳時記 第3192話

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 「今日のことば」
    (それから二年たち)
    ある朝小十郎があんまり
    風が烈しくて木もかき根も
    倒れたらうと外に出たら(中略)
    始終見たことのある赤黒いものが
    横になってゐるのでした。
     (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)13

 「ボクの細道」好きな俳句(941) 小西昭夫さん。「爽やかに鼻あり顔の真ん中に」(昭夫) こうぬけぬけと詠うには勇気がいります。それと、こうした作品は「早い者勝ち」です。こうした作品に遭遇すると「まいった」という以外にありません。他に「非常口に緑の男いつも逃げ」の作品と出会ったときもそうでした。つまり、それほど視点がマトを得ているのです。しばらくは、類句を作りたい欲望に苛まれます。嗚呼。

       種ふくべ二百二十日に落ちにけり

 

木魚歳時記 第3191話

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 「今日のことば」
    (つづけて熊は)
    「二年目にはおれはおまえの
    家の前でちゃんと死んでゐてやるから、
    毛皮も胃袋もやってしまふから。」
    熊はうしろも見ないでゆつくり
    ゆっくり歩いて行ってしまいました。
     (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)12

 「ボクの細道」好きな俳句(940) 矢島渚男さん。「遠くまで行く秋風とすこし行く」(渚男) 秋風と一緒にしばらく 行くというのです。さて、前回の「男(女)心と秋の空の」について。もとは「男心と秋の空」でした。あとで「男心」を「女心」に置き換えたそうです。どちらが当たっているか? また、機会があれば考えてみましょう。さて、仏教で「会者定離」(えしゃじょうり)と説きます。出会いがあれば別れがやってくる。これは間違いなく真理です。

        この寺も隣の寺も虫時雨

木魚歳時記 第3190話

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 「今日のことば」
    (すると熊は)
    「もう二年ばかり待って呉(く)れ、
    おれも死ぬのはもうかまわないやうな
    もんだけれども少しし残した
    仕事もあるしたゞ二年だけ
    待ってくれ。」
     (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)11

 「ボクの細道」好きな俳句(939) 波多野爽波さん。「秋風に孤つや妻のバスタオル」(爽波) 妻のバスタオルが秋風の中にぽつりと干されていた。これを見て作者は何を思うのでしょうか? さて、浮気の話がさわがしいですが、「男心と秋の空」なのか「女心と秋の空」なのか、さてどちらでしょうか? ブログの読者はどう思われますか? ボクは「男のロマン女の我慢」の言葉があるように、前者、男心(アホ)派です。

        台風に耐へにたへたり種ふくべ