木魚歳時記

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木魚歳時記 第3891話

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 何人かは知らん。いや紀の二位ばかりは知るでもあろう。御白河院は生涯おん兄崇徳天皇をしたい奉り、むかしこの兄と鳥羽の田中殿に朝夕お互いにいつくしみの言葉を交わし、無言の間にも相通じた兄上の理解と紀の二位の愛情とに護り包まれていた天皇でもなく、院でもなく、ただの四の宮の若き日を幸福な日々であったと、いつもなつかしく回想している。
(佐藤春夫『極楽から来た』)574

        父さんは蚯蚓鳴かせて酒を飲む  蚯蚓(みみず)

 「ボクの細道]好きな俳句(1640) 種田山頭火さん。「酒はこれだけ、お正月にする」(山頭火) 酒は「これっぽっち」。喜んでいいいのか、悲しぶべきなのか? そうしたことは、山頭火さんにとって、どちらでもいいことなのでしょう。ともかくグイとやることができるお正月がありがたいのです。 「大自在王菩薩の華幡は 畢竟空とさしそびゆ」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 豚(ぶた)と真珠 4 そう言えば、鵲(かささぎ)は、弾機(ばね)仕掛けのような飛び方をして逃げて行く。七面鳥は生け垣の中に隠れ、初々(ういうい)しい仔馬は樫(かし)の木陰に身を寄せる。しかし、豚は食いかけのもののあるところを動かない。

 

木魚歳時記 第3890話

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 しかし、この門院のご相談というのは、いつも名ばかりで、実は強制的な力のあるものではなかったから、四の宮はいつの間にやら、渦潮のなかに吸い込まれた小舟のようにみ位に立てられ、そうして心にもあらず、あの思いやり深い兄上を、仇も恨みもなくて敵にまわして、戦をたたかわねばならない悲運になってしまった。そうしてたたかいは心ならずも兄上新院を負かせ奉り、身は重仁新王に代って望みもせぬ帝位に即いている。
(佐藤春夫『極楽から来た』)573

         母さんは寺に嫁ぎて朴の花

 「ボクの細道]好きな俳句(1639) 種田山頭火さん。「炎天のレールまつすぐ」(山頭火) まさに直球勝負の作品です。将来への希望とか、行く末の夢とか、そのようなことは、行乞、つまり、その日暮らしが毎日の山頭火さんには、どちらでもいいことであった? ただ暑いのはたまらない・・そのことがストレートに伝わって来ます。 「白象王菩薩の宝幡は 第一義天に翻がへす」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

『豚(ぶた)と真珠』お休み

 

木魚歳時記 第3889話

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 しかし、わが子守仁を引き取り、養っていていただく以上は、門院の仰せを無下には退け奉ることもできないで退出した四の宮であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)573

        父さんと母さんが居て鱧の皮  鱧(はも)

 「ボクの細道]好きな俳句(1638) 種田山頭火さん。「芽ぶく山をまへにどつしりすわる」(山頭火) 昭和13年。種田山頭火さん56歳。7月、長男健に長女が誕生している。山を前に、どっしりとすわる山頭火さん。めずらしく、家庭的雰囲気の垣間見える(爺ちゃん山頭火)の作品です。 「山海慧菩薩のくうごの緒 寂静真如の理を示す」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 豚(ぶた)と真珠 3 さっき、肌の生毛(うぶげ)が、正午の陽ざしに燃えようとしたことが平気なら、今また、霰(あられ)を含んだあの重い雲が、草原の上に拡がりかぶさろうとしていても、そんあことには頓着(とんちゃく)しない。

 

木魚歳時記 第3888話

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(四) 歌い暮らして何不足ないその日ごろの境涯に満足し切っていた四の宮にとって、この相談はむしろ迷惑なものであった。
 今まで見聞している九五の尊位というものは、決してただ今のような気楽なものではないらしい。凡庸(ぼんよう)なわが身ふぜいでは到底むずかしい、とそうきっぱり御辞退申し上げようかかと思わないでもなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)572

        父の日のおやじ独りの晩ごはん

  ボクの細道]好きな俳句(1637) 種田山頭火さん。「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする」(山頭火) 母の47回忌に「うどん」をひとりいただき、母に供養する気持ち詠んだ作品だそうです。山頭火さんの母は、彼が10歳のときに、実家の井戸で投身自殺をしたと伝えられています。 「月光王菩薩のふりつづみ 十方世界に響かせり」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 豚(ぶた)と真珠 2 それでなくとも漬物樽(つけものたる)のような形をした腹を、もっと丸くすることより考えていない。天気がどうであろうと、そんことは一向お構いなしである。

 

木魚歳時記 第3887話

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 身を責めることの多かった四の宮は、あるいはお叱りの事もやと、伺ってみると、夢にも思ってみたことのない皇位継承のご相談なのである。寝耳に水のお言葉に、新院との折り合いなども思い合わして、その場でははかばかしいお返事もできないで、
「しばらく考慮のおひまをいただいてからお返事申し上げます」とだけ申し上げてまかり退いた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)571

        冷麺をうまいうまいと爺と婆  

 「ボクの細道]好きな俳句(1636) 種田山頭火さん。「ひつそりとして八ッ手花咲く」(山頭火) 昭和12年の作とあります。昭和12年といえばブログ筆者が生まれた年です。それはともかく、八ッ手の花は、庭の片隅にひっそりと咲くことが多い。その花びらは丸くて白い。 「大勢至菩薩の合掌は 定慧不二の表示なり」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 豚(ぶた)と真珠 1 草原に放すや否や、豚は食い始める。その鼻はもう決して地べたを離れない。彼は柔らかい草を選ぶわけではない。一番近くにあるのにぶつかって行く。鋤(すき)の刃のように、または盲の土竜(もぐら)のように、行きあたりばったりに、その不撓不屈(ふとうふくつ)の鼻を前に押し出す。(ルナール『博物誌』)

 

木魚歳時記 第3886話

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 こんな危っかしいことをする人が門院のお気に入りで、わが身代わりに高野の兼海上人に仕えさせていた門院の猶子大納言のアジャリというのは、この成道の末子なのである。
 近衛天皇がご年少のおん身で崩御のころは、折からよい師匠を見つけた四の宮は、歌の修行に熱中している最中であったが、朝子の注意もあって、ご諒聞(りょうもん)中はしばらく歌をやめていたところへ、何事ぞ、思いがけなくくも、おん義母美福門院からお召しのお使者があった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)570

        僧院に赤い眼をした蟇  蟇(ひきがえる)        

 「ボクの細道]好きな俳句(1635) 種田山頭火さん。「酔うてふるさと覚めてふるさと」(山頭火) 歩く。呑む(酒)。食う。寝る。それが放浪の旅に見えたとしても、山頭火さんの頭の片隅には、いつも、ふるさとのことが忘れられなかった・・それは人間だれしもが抱く思いなのでしょう。 「光明王菩薩の琵琶のばち 無明の迷ひを驚かす」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 豚(ぶた)4 だが、それは全くの誹謗(ひぼう)だ。
  そんなことを言う奴は、ひとつお前の顔を洗ってみるがいい。お前は血色のいい顔になる。お前が無精たらっしいのは、彼らの罪である。 床の延べようで寝方も違う。不潔はお前の第二の天性に過ぎない。

木魚歳時記 第3885話

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「とんでもないことをしでかすやつ」
と、大のふきげんで、参籠して毎日こんあことをされてはとと参籠もとりやめて帰ったというが、当の成道は、
   観音も知り見させ給へ
   をどり上がって鞠(まり)をあぐとも
   落とすべしともおぼえざりけり
と、これも得意の今様もどきのうそぶき歌っていたという。
(佐藤春夫『極楽から来た』)569

        息ひそめ二百十日の爺と婆 

 「ボクの細道]好きな俳句(1634) 種田山頭火さん。「月のあかるい水をくんでおく」(山頭火) 山頭火さんの作品には「月」が多く登場いたします。行乞の終わりの孤独と充足感と安らぎと寂しさがを癒すのは、いつも月であったのでしょうか? 「定自在王菩薩の太鼓は 平等大会の響きあり」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 豚(ぶた)3 ところで、意地の悪い連中は、お前のことを「穢(きた)ならしい豚!」と言うのだ。彼らは言う。なに一つお前の方ではこれが嫌いと言うものがないのに、みなに嫌われ、その上、お前は水を飲んでも、脂肪(あぶら)ぎった皿の水ばかり飲みたがる、と。