木魚歳時記 第3778話

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 また当時、一般に一般に聖と呼ばれていた者も必ずしも求道者ばかりとは限らず、労働力のある農民らが生活の手段として故郷から他国の荘園へ流出したように、労働力のないインテリや、もしくは怠け者の奸民(かんみん)が、求道者の遊行を装おうて他郷を遊行したり、山中の道場に棲息する場合も多かった。当時の聖は求道者と、また社会的束縛からのがれた世外人(アウアトロー)との混成であったというべきかも知れない。事実、遊芸人などが遊行聖などと混同され、自称阿弥陀聖の強盗殺人事件さえあった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)470

       豁然と令和の即位風光る  豁然(かつぜん)

 「ボクの細道]好きな俳句(1529) 松崎鉄之介さん。「ひとりづつ死し二体づつ橇にて運ぶ」(鉄之介) アラスカか南極大陸か? 犬橇(いぬぞり)を交通・運搬の手段としていた頃の作品かと思います。今は、スノーモービル(雪上車)が発達して? それはともかく「二体づつ」の措辞に重いものを感じます。

 雄鳥(おんどり)2ー7 雄鳥は妬(ねた)ましげに蹴爪(けづめ)の上に伸び上がって、最後の決戦を試みようとする。その尾は、さながらマントの裾(すそ)を剣ではね上げているようだ。彼は、鶏冠(とさか)に真っ赤に血を注いで戦いを挑み、空の雄鳥は残らず来いと身構える・・しかし、相手は、暴風(あらし)に面(おもて)を曝(さら)すことすら恐れないに、今はだだ、微風に戯(たわ)むれながらくりと向こうをむいてしまう。