これやこの 左回りの 時計草
時計草が、現実に時を刻むことはありません。ましてやそれが左回り(反対回り)するはずはありません。時計草(写真)を見たとき、ぼくが、そんなふうに感じただけです。鏡に映る自分の姿に「何て、けったいな人間や」。ぼくは思ったことがあります。それとおなじことなのです。
「本気なら何をしたって立派だからね」(里見 淳)
「唯我独尊」(ゆいがどくそん)とは、個性とか、独自性を讃える言葉です。我流、自己流を讃える言葉ではありません。ぼくはいまだに、30年あまりも勤めていた職場の夢を見ます。どうかすると「「左回り」の生き方をしたストレスが、脳の深層にあるのでしょうか?