木魚歳時記 第228話

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紫陽花や ぐづり鳴きする 牛蛙

 「引導」(いんどう)とは、人々を仏の道に導くことです。『法華経』に「もろもろの衆生を引導し、これを集めて法を聞かしむ。」とあるのがそのことです。

 死者が迷わぬように、僧侶が法語(ほうご)を伝えることは、インドや中国でも故事として伝えられています。わが国でも、ほとんどの宗派で葬儀のとき「引導」の作法を行います。その心の根底には、生の執着(生存欲)に対する鎮魂の意味とか、故人のご苦労に対する感謝・ねぎらい・いたわりの気持などがふくまれるでしょうが、なによりも、アミダ仏のおられる極楽浄土に無事往生して欲しいと願う気持ちが中心であります。

 さて、ぼくの駄文作りも「そろそろいい加減にしたら」と引導を渡されるころかと自覚しています。そこで次のシリーズ(20話)では、多少真摯な気持ちで「浄土宗檀信徒の日常勤行(ごんぎょう)」つまり<おつとめ>について書いてみたいと思います。

     「葭切や 三日見ぬ間の 仕事ぶり」