同じ日に慈円も天台座主、法務、権僧正、護持僧などを辞し、また建久元年入内して同六年皇女を生み奉った兼実の女、中宮宣秋門院も宮中から下りた。 丹後の局と土御門通親との謀ったクーデターはこれでほぼできたようなののであるが、まだまだあとがあったか…
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