木魚歳時記第4081話 

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 門を出るに当たっては、必ず、保元の乱の後、為義が、斬られる前日一夜をこの門前にたたずみ明かしたと聞いたうわさが思い浮かんで心を痛めるのであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)748

      相棒の直す化粧に淑気かな     

 「ボクの細道]好きな俳句(1827) 稲畑汀子さん。「三椏の花三三が九三三が九」(汀子) 「じゃんけんに負けて蛍に生まれたの」(池田澄子)の俳句を思い出します。「三椏」(みつまた)の花は、なぜか、ばらばらと離れて花ひらきます(そのように思えます)。そのことを「九九」で示されました。まことに楽しいかぎりです。

  め(目)にみゑの(ぬ)、なむあみだぶに、
  つつまれて、なむあみだぶの、
  なかで、ねんぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編) 

 

木魚歳時記第4080話

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 自然は時々刻々の変化のために同じ道も常に目新しいと思いながらも、あまりに曲がりもない杉の下かげの道ばかりに、変化を求めて日によっては、四明岳や大比叡を踏破してみることがあった。健脚を急がして一時間、歩をゆるめて一時間半ばかりの散歩なのであったが、彼はこの歩上を思索のためのよい時間ともしていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)747

       この俺は狗日生れの八十三  狗日(くじつ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1826-2) 稲畑汀子さん。「明るさは海よりのもの野水仙」(汀子) 淡路島の水仙峡のことを思い出します。なだらかに海に向けての斜面を、海の輝きに映え、水仙の群が咲き乱れていました。掲句は「野水仙」が色あざやかで描かれます。ところで、元日の「鶏日」(けいじつ)に始まり、狗日(1月2日)、七日の人日(じんじつ)に至るまで、七日間をそれぞれ動物(異称)にあてはめ(季語として)用いるようです。

  ふたりずれ、
  ぼんぷ、ふたりに、
  かわ(河)がある。
   『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編) 

 

木魚歳時記第4079話

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 しかし美作の山中に生まれて山中に育った法然にとっては、自然もまたよき師友である。それ故、彼は朝夕、看経(かんきん)の前後の小閑(しょうかん)をぬすんでよく散歩した。
彼は青龍寺を出て、南に向う門前の道を、釈迦堂、浄土院の伝教廟(でんきょうびょう)前を経て、大講堂前を根本中堂、東塔から、大宮川上流の谷を見下しつつ、北に青龍寺門前に向かうというコースを楕円形に一周するのが常であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)746

       なにもかもいつものやうにお正月

 「ボクの細道]好きな俳句(1826) 稲畑汀子さん。「日向ぼこし乍ら出来るほどの用」(汀子) いいですね。「日向ぼこ」しながら用事を済ませるとは! 実に楽しい。このごろ有害な太陽光がどうのこうのとかいいますが・・ボクくらいの歳になれば紫外線などの有害はさして気にならない。それより日向ぼこをしていたい! 「日向ぼこぽこと叩いてお正月」(木魚)

  くよくよと、ごんをもうわ、わしじゃない。
  をやのまことがみにしられ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編) 

 

 

木魚歳時記第4078話

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(五)法然は山上に在って、師範叡空のほかに天台密教の師相模(そうばく)アジャリ重宴や、後に大原問答の発起者になった顕真、その弟子で源平の戦いも知らなかったという珍しい学僧証真、さては右大弁藤原行隆の子で同じく叡空門下の後輩で、後年は法然のよき弟子となった信空など、道を語る師友には事欠かなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)745

       性急はS氏の業や年の暮  業(ごう)

「ボクの細道]好きな俳句(1825) 稲畑汀子さん。「年賀状だけのえにしもいつか切れ」(汀子) このようなことは、我が身の周辺にも多くなりました。兎にも角にも「性急」に過ぎた365日でした(汗)。まあ、そんな齢(よはい)となりました。ですから、これからは、万事、ぼつぼつと「成るようにしかならない!」と、あるがままの余日となるように過ごしたい。 

  わしのこころを、あなたにあけ(げ)て、
  あなたのこころを、わしがもろをて。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編) 

 

 

木魚歳時記第4077話

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 先哲の規定して置いたことではあるが、ここらにもまだ考えるべき余地が残っているように思える。
 今まではただの学侶として学的な頭で考えることばかりしか気がつかなかったのだが、ここに思い至ったのも修法のおかげであると彼は喜んだ。  

      色恋は若気の性か三十三才  性(さが) 三十三才(みそさざい)

 「ボクの細道]好きな俳句(1824) 稲畑汀子さん。「地吹雪と別に星空ありにけり」(汀子) 地吹雪の時があれば、星空(晴)の時もあります。ところで、吹雪が荒れ狂うのは、せいぜい地表に近いところ・・地上数千メートルの上空は、いつも晴れわたっています。航空機で上空を飛べばわかることです。掲句はスケールの大きな自然詠? 比喩を含む心象作品? ボクは後者と思います。誰にだって、きっと、何か良いことが待ち受けているのです。

  あなたのこころ(を)、わたしがもらい、
  わたしのこころを、あなたにとられ。
   『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編) 

 

木魚歳時記第4076話

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 こうできなことづくめでは、どんなすぐれた修法とて、万人にすすめるのには、不適当であろう。道場を持つこともできず、長く時間を費やすことのできない人や、病苦の人などこそ、最も念仏のような抜苦与楽(ばっくよらく)の行が必要なのだから。
(佐藤春夫『極楽から来た』)743

       老いらくの嫉は罪か冬の蝶  嫉(そねみ) 

 「ボクの細道]好きな俳句(1823) 稲畑汀子さん。「君がため春着よそほふ心あり」(汀子) なんでもないことをなんでもないように表現して俳句作品ともなればこれに勝る幸せはないでしょう。それをいとも簡単にやってのけるのは、この作者が尋常の俳人でない証です。うらやましい。

   さいちゃ六十五才になるよ。
   いまのよのくれた(暮れた)わ、
   さきのよのよあけなり。
   『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編) 

 

 

木魚歳時記第4075話

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 こういう修法もまた果たして万人にできることであろうか。第一に道場がなくてはできない。そうして時間がなくてはできない。また健康でなくてはできない。現に永観律師でさえ晩年にはできなくなっていたではないか。
(佐藤春夫『極楽から来た』)742

       縦横の潜は癖かかいつぶり  

 「ボクの細道]好きな俳句(1822) 稲畑汀子さん。「初蝶を追ふまなざ癖(くせ)しに加はりぬ」(汀子) 自然詠に心象が加わりました。いずれにしても、作者は、作品の描く世界を読者と共有することは大切です。常に「ひとりよがり」は創作の敵です。そう、ボクの作る俳句のように(汗)。

   あさましが、なむあみだぶつにつれられて、
   なむあみだぶつにすすめられ、
   ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
    『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)