木魚歳時記第4074話

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 と語って、壮年以前は日に一万遍、壮年以後は六万遍、晩年には舌がかわきのどが涸れるため、専ら瞑想を勉め、三時読経して一日も欠かさなかったといわれ 法然は修法しつつも、前人の徳行を思いこれを慕いながら、また少しく考えるところもあった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)741

       足腰の弱るは咎か冬の蠅  咎(とが)

「ボクの細道]好きな俳句(1821) 稲畑汀子さん。「光る時光は波に花芒」(汀子) 口語俳句に限りなく近づいても、散文とはならない・・それは、俳句を短詩形の文芸作品と心得、その「韻」(いん)の大事を心得ておられるからです。これが凡人のボクにはできません。限りなく散文調となってしまいます。

  『ルナール「博物誌」』は終わりました。続いて次回から、浅原才一さん(1850~1930)のお歌『定本 妙好人 才一の歌 楠恭編』をご紹介いたします。読者の皆様とご一緒に、ブログの作者も、なん辺もなん辺も「ナムアミダブツ」をご唱和させていただきます。紙幅の都合で、ブログ筆者の好きな順に、お歌をご紹介させていただきます。

 

木魚歳時記第4073話

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 この律師は好んで獄舎をおとずれ、囚人の苦をあわれんで説法授戒した。また人に物を貸して返さぬものには念仏をさせたという。
 律師はまた好学の人であったが生来の虚弱多病に悩みながらも、「病は人の善知識(ぜんちしき)である。われ病質の故を以て四大(しだい・宇宙及び人体を構成するという地水風火の四元素のこと)の堅からざる知りて、益々修行を勉めた」
(佐藤春夫『極楽から来た』)740

       共食いは族の掟か冬蝗  掟(おきて) 蝗(いなご)

 「ボクの細道]好きな俳句(1820) 稲畑汀子さん。「今日何も彼もなにもかも春らしく」(汀子) 作者はリフレインの名手です。また、作者は口語俳句の名手でもあります。池田澄子さんと双璧をなす口語俳句の名手だと思います。「むつかしいことを易しく。易しいことをより深く。より深いことを楽しく」(井上ひさし)の言葉を思い出します。

 樹々(きぎ)の一家 6 
 私はもう、過ぎ行く雲を眺めることを知っている。
 私はまた、ひとところにじっとしていることもできる。
 そして、黙っていることも、まずまず心得ている。
  『ルナール「博物誌」』(岸田国士訳) おわり

 

 

木魚歳時記第4072話

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 そうして寺に住するに及んで、寺領の荘園の収入など悉く挙げて寺の修理その他の寺用にあてた。そのため永観が住するようになって寺の面目は一新するに至ったといわれる。思うままに寺を修理修造したあものか、彼は居ること二年あまりで職を辞して再び光明山中の山棲谷飲に帰った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)739

       老いらくの美食は罪かポインセチア

 「ボクの細道]好きな俳句(1819) 稲畑汀子さん。「人事と思ひし河豚(あ)に中りたる」(汀子) 中(あ)たるとあります。フグ中毒のことでしょうか。昔、シビレを覚悟でフグの内臓を食して死んだ有名な役者さんがありました。だれも、まさか、中(あ)たるとは思わず、いつも、フグを賞味しています。

 樹々(きぎ)の一家 5 私は、彼らこそ自分の本当の家族でなければならぬという気がする。もう一つの家族などは、すぐ忘れてしまえるであろう。この樹木たちも、次第に私を家族として遇してくれるようになるであろう。その資格が出来るように、私は、自分の知らなければならぬことを学んでいる・・

 

木魚歳時記第4071話

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 永観も高徳で、山棲谷飲(さんせいこくいん)の生活十年、専念に修行していたが、その声名によって、南都の衆から迎えられて東大寺に住した。世人ははじめ永観の深く世俗をいとう心を知っていたから、よもや東大寺などへは行くまいと思っていたのに、別に思うところがあったらしく、永観は東大寺に赴いた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)738

       老僧の我欲は罪か蝦蛄仙人掌  蝦蛄仙人掌(しゃこさぼてん)

 「ボクの細道]好きな俳句(1818) 稲畑汀子さん。「一点の橇一線の橇の道」(汀子) いいですね、「橇」(そり)の後の一点に集約され、あとがすべて省略されている。誰がどう読んでも同じ景が見えてくる。これが俳句の一つの基本です。それがわかりながら、俳句を基本通りに作れない(汗)。

 樹々(きぎ)の一家 4 彼らは、盲人のように、その  長い枝でそっと触れ合って、みんあそこにいるのを確かめる。風が吹き荒(すさ)んで、彼らを根こそぎにしようとすると、彼らは怒って身をくねらす。しかし、お互いの間では、口争いひとつ起こらない。彼らは和合の声しか囁(ささ)やかないのである。

 

木魚歳時記第4070話

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 日中の修行としては、はじめ彼はまず九十日を期して法華三昧(ほっけざんまい)を修した。つづいて、常坐三昧(じょうざざんまい)に入り、次ぎに常行三昧(ぎょうぎょうざんまい)にと進んだ。何れも堂内の道場で十七とか九十とか日を限っての修行であった。それにつけても思い起こすのは南都念仏の先達律師(りつし)永観の古跡である。
(佐藤春夫『極楽から来た』)737

        寒中の外はやっぱり寒いのだ

 「ボクの細道]好きな俳句(1817) 稲畑汀子さん。「一枚の障子明りに技芸天」(汀子) いいですね。障子そのものに伎芸天が描かれている。と、読んでもいい。あるいは、障子の明りに照らし出された伎芸天(掛け軸)が、ひときわ、風情をかもしている。と、読んでもいい。まず、読者に映像が浮かぶこと、これが、俳句の基本なのですが、これがなかなか出来ません(汗)。

 樹々(きぎ)の一家 3 彼らは一家を成して生活している。一番年長のものを真ん中に、子どもたち、やっと最初の葉が生えたばかりの子どもたちは、ただなんとなくあたり一面に居ならび、決して離れ合うあうことなく生活している。
 彼らはゆっくり時間をかけて死んで行く。そして死んでからも、塵(ちり)となって崩れ落ちるまでは、突っ立ってたまま、みんなから見張りをさえている。
 

 

木魚歳時記第4069話

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 彼は山に帰って来たのを喜んだ。特に夏も盛んになるに及んでは、山上の清風がうれしく、夕ぐれ時になって日ぐらしぜみな音のさわやかに美しいのを愛した。 
(佐藤春夫『極楽から来た』)736

       洛中をナムナムと来る鉢叩  鉢叩(はちたたき

 「ボクの細道]好きな俳句(1816) 稲畑汀子さん。「どちらかと言へば麦茶の有難く」(汀子) 「どちらかと言えば羅の有難く」(木魚)と、すぐ、真似をいたします。真似は「早い者勝ちです!」いまだに、俳句において、「勝った負けた」というボクのクセは、焼ける時がくまでどうにもなりません(汗)。そこで、懴悔(さんげ)の一句「青梅の半分青い物語」(木魚)

 樹々(きぎ)の一家 2 遠くからは、入り込む隙間のないように見える、が、気が付いて行くと、彼らの幹は隙間をゆるめる。彼らは用心深く私を迎え入れる。私は一息つき、肌を冷やすことができる。しかし、私には、彼らがじっとこちらを眺めながらこちらを警戒している様子がわかる。
 

 

木魚歳時記第4068話

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(四)山に帰った二日目から、法然はさっそくに山の生活をはじめていた。
 山の生活というのは朝は『法華経』を読み、夕は『阿弥陀経』を看、そうしてその間に種々の修行をするのである。この規則的な生活は粗食による生活力おその消耗との間に黄金律的な調和があって妄想欲念のおこる余地もなく、心身ともに快適を覚えるものであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)735

       老いらくの色気は罪か石蕗の花   石蕗(つわ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1815) 稲畑汀子さん。「とらへたる柳絮を風に戻しけり」(汀子) 「柳絮」(りゅうじょ)とは、柳から飛び立つ綿毛(種子をもつ)のことです。俳句にはよく詠まれる季語です。衣服についた柳絮を、柳絮の「いのち」を思い、風にもどしてあげる・・なんという自然への尊厳。そのやさしさの表現に敬意を表します。

 樹々(きぎ)の一家 1 太陽の烈(はげ)しく照りつける野原を横切ってしまうと、初めて彼らに会うことができる。
 彼らは道のほとりには住まない。物音がうるさいからである。彼らは未墾の野の中に、小鳥だけが知っている泉の縁(へり)を住処としている。(ルナール『博物誌』)