木魚歳時記 第3683話 

f:id:mokugyo-sin:20190127060328j:plain

(三)ここに在ってわが心のなごむのをおぼえて法然は一夜の参籠をきめて清涼寺の宿坊に行き、お灯明代の寄進をした。参籠者が志によって灯明を上げるのはここの慣例であったから。
 宿坊には、年のころ四十ばかり、あたかも美作で別れた母ほどの年配の婦人が、ものなつかしげな風情で、この若い出家にお茶などをもてなした。
(佐藤春夫『極楽から来た』)381

        石ころを凍った池に投げてみる

 「ボクの細道]好きな俳句(1434) 真鍋呉夫さん。「犯人は月光と言ふ親殺し」(呉夫) 月光にやられたなら親殺しでも許せる・・と、作者はいうのでしょうか? それにしてもすごい作品です。さて、メガネサル(猿)の目玉は大きく、おまけにあまりうごかない。横方向を見るには首を大きく曲げねばなりません。ですから首は270度まがるとか。目玉が大きいのは、夜行性に有利なよう(集光性を高めるため)進化したそうです。S氏の目玉も大きい。夢の中で美女を見つけるため(笑)。

 

木魚歳時記 第3682話 

f:id:mokugyo-sin:20190125071244j:plain

 法然は人々の拝すのを待って瑞像の台下に身を伏せて、心中に、「わたくしは戒も定も慧も身にかなわぬ下根のお弟子でございます。成道の門を示させ給え」と念じつつ法然は拝み終わってもなおもこの場を立ち去りがたい思いがあって、ここに一夜の参籠を考えた。瑞像の前で沈思のうちに瑞像の示す霊感を得たいと思ったからである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)381

        天辺にふるへつらなる冬銀河

 「ボクの細道]好きな俳句(1433) 真鍋呉夫さん。「露の戸を突き出て寂し釘の先」(呉夫) 「寂し釘」は、作者の心情でありましょうか、人生に悔いなしの宣言でありましょうか? さて、ニホンザル(猿)のお尻と顔は真っ赤かっかです。その赤さはサル(個体)の生命力の象徴だそうです。したがって、赤ければ赤いほどメスにもてるとか? S氏のは面(つら)は「しんき臭い」を売り物にしています。ですからモテません。みしろ敬遠されています。「臭いモノには蓋(ふた)をしろ」です(汗)。

 

木魚歳時記 第3681話 

f:id:mokugyo-sin:20190124055350j:plain

 瑞像は低い台座の上に如来の現すという五尺二寸の立姿が大きな唐草風の華麗な光背を負うて、交々(こもごも)に台座の下にぬかずく人々を少しく憂色を帯びた面ざしで慈眼に見おろしていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)380

       山峡に凛とかがやく樹氷かな  凛(りん)

 「ボクの細道]好きな俳句(1432) 真鍋呉夫さん。「亀鳴くと喚びしあとのさびしさよ」(呉夫) 「亀鳴く」(春季)は遊び心です。亀には声帯がなく鳴きませ! したがって、遊び心(妄想)のあとには、淋しさをともなうこともある? さて、子どものころ熱中した、クワガタの大きなハサミは、アゴが進化したものだそうです。ハサミは大きいほど争うには有効です、が、しかし樹液を吸うにも、移動にも、なにをするにも不便です。そこで、ぐずぐずしていて、小回りの利くオスにメスを奪われ(交尾され)てしまうことも。後の祭りとはこのことです(笑)。

 

木魚歳時記 第3680話 

f:id:mokugyo-sin:20190123070009j:plain

 今日も老若、男女,貴賤(きせん)を問わずここに群衆していた。藤原定家は群衆の煩わしさ避けてここに参詣したというが、法然はこれらの群衆の姿をこそ見たかったのである。そうしてこの群衆の一人となってここに求道の祈願をしたかったのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)379

       凍空を裏つづくる掛接屋  掛接(かけつぎ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1431) 真鍋呉夫さん。「月光に開きしままの大鋏」(呉夫) 庭木の剪定(せんてい)用いる大鋏でありましょう。真夜中、置かれたままの大鋏が、ひらかれたまま、月光に鈍く光って見える。さて、スズムシの鳴き声も、オスからメスへの求愛のプロポーズだそうです。オスが羽根をこすりあわせて発するリンリンを、メスは前足にある鼓膜で聞いているそうです。スズムシのメスは、オスの求愛のプロポーズをちゃんと聞いているのでしょうか(汗)。

 

木魚歳時記 第3679話 

f:id:mokugyo-sin:20190122064505j:plain

 この日よりやや後年のことであるが、高倉天皇に寵(ちょう)せられた小督局(こごうのつぼね)真西(しんぜい)の孫女、が清盛の圧迫のため嵯峨野に出奔(しゅっぽん)したのを院宣(いんせん)によって仲国がこれを求めた時も、釈迦堂にもそれらしき人の影は見られなかったと報告したと伝えられるとおり、はじめは典型的な貴族寺院であったものが、有為転変して今は全く庶民の自由な出入りに委ねて、思いのままの祈願ばかりか、参籠(さんろう)さえかなうところになっていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)378

       列島は西高東低冬の空

 「ボクの細道]好きな俳句(1430) 真鍋呉夫さん。「いのち得て恋に死にゆく傀儡かな」(呉夫) 傀儡(くぐつ)とは、怪しき世界にうごめく人形のことです。さすが、猟奇的世界を詠んでは第一人者の俳人と感服いたします。さて、カバは鈍重の動きをするようで、案外、行動力に秀でているようです。ところで、その皮膚は、人間の赤ちゃんくらい超敏感なそうです。皮膚を乾燥させるとヤバイので、昼間は、ほとんど水中で暮らすそうです。S氏は、ガラス細工ような神経で、昼間、神経の過敏を防ぐために昼寝をします。夜は夜で、もっぱらくだらない夢を見てうなされています(汗)。

 

木魚歳時記 第3678話 

f:id:mokugyo-sin:20190121070555j:plain

 当時、宮廷は多事で用度が欠乏のため、最勝講や仁王会など吉例の仏事も延引がちとなっていたし、法勝寺などの貴族寺院も衰退の一途をたどっている反面、市の聖(ひじり)の寺院や、由緒ある民間の仏閣が庶民結縁(けちえん)の霊場となる傾向が著しかった。なかでも清涼寺の釈迦堂などは屈指のものとして世の有信者を多く集める場所であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)377

       姫始おいけとばすなけとばすな 

 「ボクの細道]好きな俳句(1429) 真鍋呉夫さん。「親殺し子殺しの空しんと澄み」(呉夫) 「親殺し子殺し」とは? 強烈なインパクトを示して比類のない作品です。さて、「ひめ始め」の季語には諸説があるようです。新年2日、姫飯、すなわち、姫(ひい)がお食い始めになる飯(いい)のこと。飛馬始(ひめはじめメ)を語源とする説。乗馬始(ひめはじめ)の日とする説。姫糊(初洗濯)などなどです。S氏の最大関心事となる「姫始」(ひめはじめ)つまり「秘め事始め」は、諸説の一つにしかすぎません。ウッ。

 

木魚歳時記 第3677話 

f:id:mokugyo-sin:20190120071108j:plain

 天竺から西域を経て唐に入り宋の朝廷から奝然の手でわが国に渡って来た。それ故に唐、天竺、わが朝と三国渡来の称もある。わが国入って以来も幾多の奇瑞を伝えられ、いみじくも尊いものである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)376

       凍鶴や捨て色めきし日本海

 「ボクの細道]好きな俳句(1428) 真鍋呉夫さん。「花冷の水が繩綯ふ川の中」(呉夫) 「繩綯(な)ふ」とは? そのように見える、ということでしょうか? 花筏(はないかだ)とまた違った趣があります。さて「蛙の目借り時」という春の季語があります。春、眠くてたまらないのは、蛙が人の目を借りてゆくからだ・・また、この時期は蛙の交尾期と重なるので、蛙の「妻(め)狩る」の意味で詠まれます。この時期、蛙のメスに数匹のオスが抱きつくことがあります。それでもアブレたオス蛙たちは、手ごろ(抱きごろ)の小魚にまで抱きつきます。ふむ。さぞ迷惑でしょう! 突然、抱きつかれたその小魚は・・