木魚歳時記 第3501話

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 すなわち、遠い未来をという意味に解釈していいのかも知れない。将来の理想国ではなく現在に実在する観念的国土であるという書き方のようでもある。それはともかく、
(佐藤春夫『極楽から来た』)204

       霾ぐもる羅城門址四ッ塚町

 「ボクの細道]好きな俳句(1252) 田川飛旅子さん。「非常口に緑の男いつも逃げ」(飛旅子) ホテルの非常口階段の処に灯る「緑の男」のマークはおなじみです。無季俳句ながら、この作品に接したときは、思わず「してやられた」と感じたものです。類句・類想は金輪際よせつけない作品であるという意味において完璧にまいりました。最終回・満塁・逆転・さよならホームランです。

木魚歳時記 第3500話

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 と、こう書き出したこの『阿弥陀経』(あみだきょう)というのはすべて象徴的な説き方であるが、ここに「西方十万億の仏国土を過ぎて、とある西方というのも空間的な方向を指すものか、それとも日の落ちる方向を指して時間的な距離、
(佐藤春夫『極楽から来た』)203

     田鼠化し鶉となるや毘沙門天  鶉(うずら)

 「ボクの細道]好きな俳句(1251) 飯島晴子さん。「さつきから夕立の端にゐるらしき」(晴子) これも再三にわたりご紹介した記憶があります(晴子さんの作品が好きですからいたしかたありません)。いまにも降りそう降らない、どうかするとそのまま通り過ぎてしまう。夕立とはそんなものです。そんなものをそんなものとして描いて詩情が漂うのはただ事ではありません。愛しい男(女)もそんなものです。

木魚歳時記 第3499話

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「これより西方十万億(さいほうじゅうまんのく)の仏国土(ぶっこくど)を過ぎて、一つの仏の世界がある。その国を極楽世界といい、ここに居られる仏を阿弥陀仏(あみだぶつ)と申して、今日も現にこの浄土に居られて真理を宣伝していらっしゃる」
(佐藤春夫『極楽から来た』)202

        鷹化して鳩となる日の鬼子母神

 「ボクの細道]好きな俳句(1250) 飯島晴子さん。「寂しいは寂しいですと春霰」(晴子) さびしいときは、さびしいものです。それは誰だって同じです。しかし、突然の「春霰」(あられ)ともなれば! それでもまださびしいです! と、作者は自分自身にいい聞かせるのです。やはりこれは本当にさびしいのでしょう。某氏Sなどは、ブログにアップする被写体(上掲)探しに懸命です。ですからさびしいことはない? いや、寂しいような時もある(汗)。
 

 

木魚歳時記 第3498話

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(二)ある時、シャカムニ仏がコウサラ国にある舎衛城(しゃえいじょう)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で、千二百五十人の仏弟子たちの集まっているところで、その代表者シャリホツに呼びかけて、次のような事どもを説かれたという。
(佐藤春夫『極楽から来た』)201

       大海に入るや鶉の大蛤    鶉(うずら)

「ボクの細道]好きな俳句(1249) 飯島晴子さん。「夏鶯さうかさうかと聞いて遣る」(晴子) 前にご紹介しました(その記憶があります)。すなわち「男はどうして未熟な囀りなのに、初鶯(若い妓)ばかりちやほやするのでしょう? ここに妖艶に囀る夏鶯(老鶯・わたくし)が居るというのに・・」。そんな夏鶯(老鶯)の嘆(なげき)きを、作者は、そうかそうかと聞いてあげるというのです。

木魚歳時記 第3497話

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「仏教の修行ができ上がると、このいやなことばかりの娑婆(しゃば)、穢土(えど)までも極楽のように思えて来ることなのである。わしも早くそうなりたいものだ」
(佐藤春夫『極楽から来た』)200

       大海に入るや雀の小蛤

「ボクの細道]好きな俳句(1248) 飯島晴子さん。「さくら鯛死人は眼鏡ふいてゆく」(晴子) さて、間違った解釈となるかも? 死んでも鯛(たい)の言葉があります。あの人(故人)は、死ぬ前にも、いつものように自分の眼鏡をきれいに拭いて、それから、フッと深い息を一つ吐いて、それから、西にしずかに旅立ってゆくのです。

木魚歳時記 第3496話

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「極楽をこういろいろな言葉で申すほか別に『じゃっこうど』というのがある。寂光土、さびしいひかりののつちと書くが、決してさびしいのではない。しずかに落ちついた真理の光がものみなを照らしている静かに楽しい国という意味なのだ」         (佐藤春夫『極楽から来た』)199 (198欠番)

               僧形のミイラ抱きて山笑ふ

「ボクの細道]好きな俳句(1247・1246欠番) 飯島晴子さん。「しかるべく煮えて独りの牡丹鍋」(晴子) ひとりで牡丹鍋を食べる。鍋を囲む人の数(大勢ならなお楽しいが)にかかわりなく、さくら鍋はぐつぐつと煮えます。なんだか少しぐらいゆっくりと煮えてほしいのに、わたくし独りなんだから! そんんな作者のつぶやきが聞こえてきそうです。「病葉の己がうちなる寂光土」(木魚)

木魚歳時記 第3495話

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「ただ聞きかじり読みかじったところでは、極楽のことを安養土(あんにょうど)とか安楽国(あんらくこく)とかいうのは心安らかに生きられる国というのであろう。」
(佐藤春夫『極楽から来た』)197

      涅槃図に五十六種とあと一匹

「ボクの細道]好きな俳句(1245) 飯島晴子さん。「金屏風何んとすばやくたたむこと」(晴子) 出すときは、念入りに時間をかけて支度する金屏風。お正月とはかぎりませんが、何か慶事があったのでしょうか、それが終われば仕舞うときのそっけなさは、準備・支度にかかる時、行事を終えて仕舞う・かたずける時、万事このように違うのです。おわるときは素早いのです。