木魚歳時記 第3449話

f:id:mokugyo-sin:20180605052959j:plain

 春が過ぎて夏が来るとともに山上の寺のありがたさはいよいよよくわかって来た。ここは父の家から稲岡やまた母の家の倭文(しどり)よりずっと清涼で、蚊やはえのようないやなものは一つだって住んでいなかった。ただ衆僧の読経の声に和して蝉も一日中経文(きょうもん)を読んでいた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)152

      生ビール女たちまち勝者たり

 「ボクの細道]好きな俳句(1199) 小川軽舟さん。「夢見ざる眠りまつくら神の旅」(軽舟) 「神の旅」(冬季)は出雲に神さまがあつまる話です。夢も見ないくらい熟睡するわたくしは「お先真っ暗」縁談にほど遠い? それは考えすぎ? ところで、ボクは毎晩のように夢を見ます。なんの夢やいったい! それはまるで夢のような話です!

 

木魚歳時記 第3448話

f:id:mokugyo-sin:20180604060239j:plain

 それが血や肉のなかまでしみ込んで行くのを感じた。わけても師匠と朝の散歩など心身を日々、すこやかに育てているのを感じた。彼はここに居て健康なのである。そうして日々にもの心がつきはじめていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)151

     虹描きて手品師街を出て行けり

 「ボクの細道]好きな俳句(1198) 小川軽舟さん。「手を入れて水の厚しよ冬泉」(軽舟) 冬の泉は落ち葉などで覆われていますから、一見、その深さを知ることができない場合があります。なにかの必要があって泉の中に手を差し入れて、その深さを測ろうとして、水の冷たさとその深さに驚いたといういのです。

木魚歳時記 第3447話

f:id:mokugyo-sin:20180603060928j:plain

(三)不意に心が日蝕(にっしょく)のようになる現象は、童子が山の上の寺に来てはじめて知ったところである。
 しかし山の上の空気はすがすがしく甘かった。少年は少年はそのはつらつたる内臓にけがれのない山上の気を心ゆくまで吸い込んで、
(佐藤春夫『極楽から来た』)150

      短夜や本の中から鶏が出る

 「ボクの細道]好きな俳句(1197) 小川軽舟さん。「十一月自分の臍は上から見る」(軽舟) なぜ十一月なのか? それは作者に聞いて見なければわかりません。そぞろ寒くなり食欲旺盛で太った腹をしげしげと眺めながら、よくはわからないけれども、かって重要な役割を果たした「臍」(ヘソ)の現状を知りたくなる時分がここに居る。

木魚歳時記 第3446話

f:id:mokugyo-sin:20180602073358j:plain

 師匠はこの弟子の学びぶりをつくづくと見て、孔子さまのものに似ているだけに、このでこぼこ頭の中味はなかなか充実していると頼もしがった、いまにここから円光が射すものとまでは知らなかったが。
(佐藤春夫『極楽から来た』)149

      剃刀の喉もとあたり鱧の皮

 「ボクの細道]好きな俳句(1196) 小川軽舟さん。「牛冷すホース一本暴れをり」(軽舟) 牛であろうと、何であろうと、夏の盛りの暑さに違いはありません。乳のでる元気な牛に育てるため、昼下がりに牛にホースで水を掛けるのでしょう。そのホースが、なにかのはずみに手から離れてホースの水が暴れ出したというのです。

木魚歳時記 第3445話

f:id:mokugyo-sin:20180601050313j:plain

  それは文字の論議ではなく、文字を媒介として分析や総合や推理などいろいろと文(もん)を立体的に考察する方法を少年の柔らかな頭脳にたたき込むのであった。この基礎的な訓練が後年どれほど役に立ったかは我々も今に見るときが来るであろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)148

       転校生その子香水つけてゐた

 「ボクの細道]好きな俳句(1195) 小川軽舟さん。「灯火親し英語話せる火星人」(軽舟) 火星人でなくとも、英語でなくとも外国語の一つくらいは堪能でありたい。それはみんなの思うことでしょう。その羨望が嵩じると英語を流暢にあやつるオッチャンが火星人と同じくらいに素敵に見えるのも不思議ではありません。

木魚歳時記 第3444話

f:id:mokugyo-sin:20180531052654j:plain

 師匠はこの小さな弟子のために仏典のほか経書をも読み授けて儒学の一端をも学ばせた。師匠はこの弟子に読書力を与えるに当たって解読には特別に小やかましく、一字半句のあいまいをも見逃がさなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)147

      をんどりの鳴きてひなげし火の色す

 「ボクの細道]好きな俳句(1194) 辻 桃子さん。「青嵐愛して鍋を歪ませる」(桃子) 「青嵐」の季語から察して、「鍋を歪(ゆが)ませる」は、たぶん比喩(情事)かと思います。ただの食事風景ではないでしょう? 「ストーブを蹴飛ばさぬやう愛し合ふ」(櫂未知子)。これほど露骨でないのが、桃子さんの作品らしくて好きです。

木魚歳時記 第3443話

f:id:mokugyo-sin:20180530052313j:plain

「さかしいようでも、やっぱり童子は童子だな」
 と、心中にささやいた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)146

     天の川さてさて登る梯子ない

 「ボクの細道]好きな俳句(1193) 辻 桃子さん。「雪の夜の絵巻の先をせかせたる」(桃子)「絵巻」とは、枕絵(アダルトDVD)のごときモノ? さて、ボクは、最近、白内障の気(け)があり、夢二美人の如き女医さんと急接近(測定器の向こう)する機会がありました。「はい、いっぱいにひらいて」。そこであんぐりと口をあけたところ、「お目をひらくの、お口をあけてどうするの、もう!」と叱られました。