木魚歳時記 第3442話

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 と、観覚は少年の好奇に満ちた探究心をいささか持て余した様子であった。それでも師匠なら何でも知っているものと思い込んでいるらしいひたむきな信頼を可憐として顔をほころばせて、
(佐藤春夫『極楽から来た』)145

      始まりも終りもなくて流星

 「ボクの細道]好きな俳句(1192) 辻 桃子さん。「蛤を提げて高きに登りけり」(桃子) ふむ。いささか難解。こんな時は自己流読みで押し切るしかありません。蛤(モザイク部分)をあっけらかんとご開帳するためにステージに上がるショーの如きものもあるではないか・・と、これは某氏Sのたわごとでした(汗)。

木魚歳時記 第3441話

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 「何かと思えば木の名か、わしはまだ木の名までは十分ににはおぼえておかなかったが、あれは伯州(はくしゅう)の大山(だいせん)などのような高い山にだけあるもののようだ。ほかにもそんな類(たぐい)の木はいろいろあるらしい。今度誰か山の衆に聞いておこうぞ」
(佐藤春夫『極楽から来た』)144

      明易し土間に転がる牛乳瓶

 「ボクの細道]好きな俳句(1191) 辻 桃子さん。「虚子の忌の大浴場に泳ぐなり」(桃子) 温泉の大浴場で泳ぐとは! こんな桃子さん大好き。そういえば、その日は大虚子の「命日」でした。さて、このごろ思います。男も女もすることに変わりがない! フロで泳ぐのはともかくとして、鼾(いびき)もかけばオナラもする(汗)。

木魚歳時記 第3440話

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 「お師匠さま」
 と不意に、黄色な瞳をかがやかしてあたりを見まわしていた童子に呼びかけられて師匠がふりかえると、童子は高くこずえを指さして、
「あの木は何でしょうか」
(佐藤春夫『極楽から来た』)143

      六月は酸味の効いたライム酒

 「ボクの細道]好きな俳句(1190) 辻 桃子さん。「山滴り写真の父は逝きしまま」(桃子) 山笑う、山滴る、山粧う、山眠る、そしてまた、山笑う、山滴る、と季節は廻りますが・・逝ってしまった父の写真はセピア色に色あせても、年齢(思い出)ストップしたまま・・すなわち「諸行無常」はこの世の真理です。

 

木魚歳時記 第3439話

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 市のひじりというのは町や村を歩きまわって仏の道をひろめる上人のことだ。これは立派なこしや車に乗る僧正よりも尊いものだ。天子さまのお子で、市の聖にならっしゃったお方もござるのだ」
と、話はどこまでも師匠の言葉であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)142

     しばらくは仏とふたり花の昼

 「ボクの細道]好きな俳句(1189) 辻 桃子さん。「葱畑蟹のはさみの落ちてゐる」(桃子) 「蟹のはさみ」は比喩でしょうか? そうでない(実物)としたら、考えられない(意外性)に驚嘆します。いや、そうでもないか? 海浜(かいひん)のネギ畑としたら、現実の起こりうる現象です。ということはボクの体験(学習)不足だけのことです。

木魚歳時記 第3438話

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 「こうしてそなたの足をきたえさせておくのだ。わしはそなたを立派な輿(こし)や車に乗る高僧にならせたいとは思っていない。わらじがけてひとり野山や村里をどこまでも思いのままに歩きまわる市(いち)の聖(ひじり)にしたいのだ。
(佐藤春夫『極楽から来た』)141

      山滴る草木虫魚みな仏

 「ボクの細道]好きな俳句(1188) 辻 桃子さん。「味噌たれてくる大根の厚みかな」(桃子) 味噌を塗った、熱々の大根炊きをいただくときはちょっとした工夫がいります。ミソが垂れる、大根は熱くて喉を通りそうにない・・だれにでもあるような出来事をさらりと詠うには、それだけの観察力と表現力が求められます。凡人にはなかなか出来難いことです。

木魚歳時記 第3437話

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 採ったものを童子に持たせ従えて一しょに散歩することが時々あった。童子もそれを喜びたのしみにしている様子に見えた。それにしてもその時でさえ、観覚は何らなつかしげなことを語り出すでもなく、
(佐藤春夫『極楽から来た』)140

     仏塔の口ひらきたる花の昼

 「ボクの細道]好きな俳句(1187) 辻 桃子さん。「右ブーツ左ブーツにもたれをり」(桃子) 玄関にブーツが脱ぎ捨て置かれている。ブーツの右足分が左足に当たる側に折れてもたれていた。ただ、それだけのことです。しかし、なるほどそういえば、そんなこと見かけた記憶が・・読者にそう思わせれば作品は成功です。

木魚歳時記 第3436話

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 ただ学僧たち一同で朝の看経(かんきん)が終わったのち、仏前に供える花を絶えず新たに咲かわる野に求めるに当って、特にこの最も年少の弟子を誘い伴って、露もまだ干ぬ山野を歩きまわって、花の選び方を教え、
(佐藤春夫『極楽から来た』)139

      大仏も身を屈めたる春の雷

 「ボクの細道]好きな俳句(1185) 辻 桃子さん。「老鶯をきくズロースをぬぎさして」(桃子) 「老鶯」(ろうおう)とは夏鶯のことです。初鶯の鳴き声は未熟ですがなぜかちやほやされます。老鶯は見事に囀りますがなぜか敬遠されます。掲句は作者の実感? まさかズロースを・・「春雷やすぐにズロース脱ぎなさい」(木魚)