木魚歳時記 第3066話

f:id:mokugyo-sin:20170516044403j:plain

 マガヴァー(インドラ神)は、つとめはげんだので、神々のなかで最高の者となった。つとめはげむことを人々はほめたたえる。放逸(ほういつ)なることはつねに非難される。(ダンマパダ おわり)

 「ボクの細道]好きな俳句(822) 正木ゆう子さん。「雛鳥の足踏み替ふるさえ大事」(句集『羽羽』) 雛鳥はそのようです。巣の中でも、巣立ってからにしても、雛鳥(ひなどり)のヨタヨタぶりにはドキドキします。しかし、雛鳥が充分に育ち、足がしっかりしてから動きだしたのでは危ない(天敵に狙われやすい)。雛鳥たちにはかれらなりの事情があるのです。ヨタヨタ危なげない足で自然界に生きていく以外に、かれらたちには生きていく選択肢が残されていないのです。

 「今日のことば」
         自分自身になることが
         真の快楽だ
         (ヘルマン・ヘッセ)         

        葦の芽のぐんぐん育つ遊水地 

 謹告(ブログ筆者より) 突然ですが『木魚歳時記』について、次回より若干の変更をさせていただきます。変更の内容は、ダンマパダ(法句経)「(ブッダの)真理のことば」のご紹介を大変残念ながら中断させていただきます。理由は、ブログ作者の視力(80歳)の状況によるものです。この続きを必要とされる方は「岩波文庫」(青302-1 p33)をご参照ください。今後、ヘッセ(上記)の言葉にあるように「自分らしく楽しく」このブログを更新するつもりです。引き続きご笑覧くださいますことをよろしくお願いいたします。

 

木魚歳時記 第3065話

f:id:mokugyo-sin:20170515063753j:plain

 怠りなまけている人々のなかで、ひとりつとめはげみ、眠っている人々のなかで、ひとりよく目ざめている思慮ある人は、疾(はや)くはしる馬が、足のろの馬を抜いてかけるようなものである。(ダンマパダ)

 「ボクの細道]好きな俳句(821) 正木ゆう子さん。「牛と死の犇めく土中走り梅雨」(句集『羽羽』) 作品に「(口蹄疫)」と添え書きがありました。口蹄疫とは、牛・豚・羊などの有蹄類が罹る急性疾患のことです。さて、「犇めく」(ひしめく)の字には牛が三頭います。ボクは、なんとなく、鶏インフルエンザの処分のことを思い浮かべてしまいました。とりわけ、「牛の死」でなく「牛と死」とした措辞に重いものを感じます。土中に、処置されたすべてのものの「たましい」が犇(ひし)めきうごいている。そこへ「走り梅雨」が地表を洗い流して去る。なんともきびしい現実であります。

 「今日のことば」            

        「これがどん底だ」

         など言っていられる間は、

         どん底にはなっていないのだ。

         (シェクスピア)

           新緑の遠近法をはみだせり

木魚歳時記 第3064話

f:id:mokugyo-sin:20170514072948j:plain

 賢者が精励修行によって怠情をしりぞけるときには、智慧の高閣(たかどの)に登り、自らは憂いなくして(他の)憂いある愚人どもを見下ろす。山上にいる人が地上の人々を見下ろすように。(ダンマパダ)

 「ボクの細道]好きな俳句(820) 正木ゆう子さん。「吹く風の緩めば昇るはなびらよ」(句集『羽羽』) 第5句集『羽羽』の巻頭句です。東北大震災への思いが根底にある作品でしょうか? さくら雪吹の頃ともなれば、少しは暖かい風も訪れることでしょう。そうすれば、「失われたもの(いのち)も天国へと昇るのでしょう」。そうすれば「わたくしというはなびら」も「うれしくて浮遊することでしょう」。そんな解釈は無理かな? 間違って読んでしまったかも?

 「今日のことば」        

         書物は、それが書かれたときと同じように

         思慮深く、また注意深く

         読まれなくてはならない。

         (ソロー)

         青嵐ひつじと犬と少年と

木魚歳時記 第3063話

f:id:mokugyo-sin:20170513053900j:plain

 放逸(ほういつ)に耽(ふけ)るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。(ダンマパダ)

 「ボクの細道]好きな俳句(819) 正木ゆう子さん。「たらちねのははそはのはは母は羽羽」(句集『羽羽』) 第5句集『羽羽』は、平成21年(作者58歳)から平成27年(64歳)までの300句が収められています。作者は「あとがき」の中に『羽羽』について、母の音を重ねただけで深い意味はない。単純に大きな翼という意味に使うのが最も相応しい。そうした意味のことを記しておられます。さらに、この句集の「あとがき」を書き終えたころ熊本地震があった(作者は熊本県在住)と記されていました。

 「今日のことば」
         苦しいことが多いのは
         自分に甘えがあるからだ
         (石川 洋) 

         古知谷にミイラ仏とや山滴る

 

木魚歳時記 第3062話

f:id:mokugyo-sin:20170512052132j:plain

 智慧乏しき愚かな人々は放逸(ほういつ)にふける。しかし心ある人は、最上の財宝(たから)を守るように、つとめはげむことを守る。(ダンマパダ)

 「ボクの細道]好きな俳句(818) 正木ゆう子さん。「公転に遅れじと春の大気かな」(句集『夏至』) 第4句集『夏至』の巻末を飾る作品です。地球の公転と自転、さらに、公転する地球軸の傾斜で地球上の「気象」は定まります。太陽と、地球と、月と、その外の諸条件が、仮に少しでも狂えば、「春」(四季)は遅れるどころか、地球上のあらゆる「生命」(いのち)の存亡すら保証されません。今、地球の温暖化の現象が問題となっています。
 「今日のことば」
         つらいことが多いのは
         感謝をしらないからだ
         (石川 洋)

            老僧はちよろぎのごとく生えにけり

 

木魚歳時記 第3061話

f:id:mokugyo-sin:20170511052254j:plain

 思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己(こっき)によって、激流もおし流すことができない島をつくれ。(ダンマパダ)

 「ボクの細道]好きな俳句(817) 正木ゆう子さん。「太陽のうんこのやうに春の島」(句集『夏至』) この作品を見て「正木ゆう子さんの作品と思いたくない。」そんな投書が作者の処に届いたとか? なるほど清楚で華奢な正木ゆう子さん(当時)が「うんこ」の言語など記されるわけがない! これはなにかの間違い? そんな気持ちはわかります。しかし、太陽をめぐる、地球の運行(うんこう)を考えれば、その地球の小さな「島」など、まさに太陽の「うんこ」のようなものです(汗)。

 「今日のことば」
         悲しいことが多いのは 
            自分のことしか分らないからだ
          (石川 洋)

         聖堂にハンカチの花日曜日

木魚歳時記 第3060話

f:id:mokugyo-sin:20170510063958j:plain

 こころはふるい立ち、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法(のり)にしたがって生き、つとめ励む人は、名声が高まる。(ダンマパダ)

「ボクの細道]好きな俳句(816) 正木ゆう子さん。「流水にたましひ蒼むまで乗りぬ」(句集『夏至』) 心象作品が続きます。さきに、「やがてわが真中を通る雪解川」(ゆう子)をご紹介しました。いずれも、作者ご自身の心境を詠われた作品と読みました。しかし、掲句には、「雪解川」の作品の激しさよりも、やや達観した清廉さが感じられます。作者の年齢(作品の作られた年代)と関係があるのでしょうか? 

 「今日のことば」
         生きづまりが多いのは
         自分が裸になれないからだ
         (石川 洋)

        女流将士里見四段ハンカチの花