木魚歳時記 第3878話

f:id:mokugyo-sin:20190808052429j:plain

 そのため、同好の友人仲間の歌い相手には不自由はしなかったが、歌がだんだん我流になってしまうように思えて、時々はほんとうの上手と歌いたいのに、その歌い相手に事を欠く始末であった。
 この嘆きを乳母の朝子にうち明けると朝子は奔走し、つてを求めて目ざす人に渡りをつけ、また四の宮のお出かけ遊ばすにも相手の芸人たちが出向くくにも都合のいいようなころあいの場所を見つけてきたものであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)562

         宙の果てたどれば夏の大三角   宙(そら)

 「ボクの細道]好きな俳句(1627) 種田山頭火さん。「寝るよりほかない月を観てゐる」(山頭火)。この作品を見て「こんなよい月を見て寝る」(尾崎放哉)の作品を思い出します。寝たくなくとも、相手となるのは月しかない。行乞の淋しさが吐息のようにこぼれます。 「普賢菩薩の幡蓋は 恒順衆生と指かゝる」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 驢馬(ろば)2 この巡回が終わると、ジャッコと驢馬は今度は自分たちのために働く。馬車が荷車の代わりになる。彼らは一緒に葡萄(ぶどう)畑や、林や、馬鈴薯(ばれいしょ)畑に出掛けて行く。そしてある時は野菜を、ある時はまだ緑(あお)い帚草(ほうきぐさ)をという風に、あれや、これや、日によっていろんなものを積んで帰る。