木魚歳時記 第3877話

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 新院はお気づきの様子であったが、格別やかましくお禁じにもならないのを幸い、この時も一月あまり歌い明かしたものであった。このころ困ったことといえば、遊女くぐつ女(め)などのなかには用もない遠慮をして、
「わたしどもは新院の御所ではもったいなくてお伺いできませんわ」
などという者が時々あったことである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)561

        とれとれの酸つぱいトマト茗荷村

 「ボクの細道]好きな俳句(1626) 種田山頭火さん。「雨ふるふるさとはだしであるく」(山頭火)。 長旅で草鞋が擦り切れたのでしょうか? このように、山頭火さんには、「ふるさと」を詠んだ作品がいくつかあるようです。そのうちには、故郷の姉を訪ね、いくばくかの金子を恵まれ「たのむから早く去ってほしい」と、懇願されたとか・・「観世音菩薩の蓮台は 我等衆生を乗せたまふ」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)

 驢馬(ろば)1 何があろうと、彼は平気だ。毎朝、彼は小役人のようにせかせかした、ごつい、小刻みな足どりで、配達夫のジャッコを車に載せて行き、ジャッコは、町で頼まれて来たことずけや、香料とか、パンとか、肉屋の肉とか、二、三の新聞、一通の手紙などを村々の家へ届けて回る。(ルナール『博物誌』より)