定明はこうしてタイムリーにこつそり弓削から脱出した。それ故、時国が死に、秦氏が幼童を抱きしめて定明の二度の来襲をおそれていたころ、定明はもう淀の川船にいた。そうして国衙(こくふ)がきびしく彼を求めたころにはもう都で権大納言の家人になってい…
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