木魚歳時記 第3007話

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 (学生ビンギャの質問)師(ブッダ)は答えた「ビンギャよ。ひとびとは妄執(もうしゅう)に陥(おちい)って苦悩を生じ、老いに襲われているのを見ているのだから、それ故に、ビンギャよ、そなたは怠(おこた)ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(762) 波多野爽波さん。「春月や犬も用ある如く行く」(爽波) ふむふむ。犬は「斜め歩行」(スタスタ歩き)をしますから、「用ある如く」の措辞が生きてきます。この作品もそうですが、読者が、なるほどと、思い当たるような景を思い浮かばせるのが俳句の定石だそうです。しかし、凡人にはそのような作品をつくることは適いません。

 「今日のことば」
         一番大切なことは、
         単に生きることではなく、
         善く生きることである。
         (ソクラテス)

         老僧は菫の花が好きなのよ  

                      菫(すみれ)

木魚歳時記 第3006話

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 (学生ビンギャの質問)ビンギャがたずねた。「四方と四維(しい)と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識(し)れない何ものもありません。どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです。この世において生と老衰とを捨て去ることを。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(761) 波多野爽波さん。「春宵や食事のあとの消化剤」(爽波) 「春宵」(しゅんしょう)だからいいのです。熱帯夜では俳句とはならない。それにしても「春宵」と「消化剤」というの組み合わせはなかなか思いつくものではありません。とりわけ、こうした作品が、爽波さんの時代(虚子晩年)に作られたことに驚きを感じます。

 「今日のことば」
         自分の内なるものも外なるものも、
         見ているものを変える必要はない。
         ただ見方を変えればいいのだ。
            (タデウス・ゴラス)

          囀りの消えなば消えね喫茶店

 

木魚歳時記 第3005話

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 (学生ビンギャの質問)師(ブッダ)は答えた「ビンギャよ。物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見る。物質的な形態があるが故に、怠(おこた)る人々は(病などに)悩まされる。ビンギャよそれ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(760) 野見山朱鳥さん。「父と子は母と子よりも冴え返る」(朱鳥) この通りだと思います。臍の緒でつながり、母の腹を痛めた「母と子」には距離感がありません。しかし「父と子」には距離感があります。性別の違い? 進化、学習能力? などなど。こんなことを研究すれば面白いかも! 

 「今日のことば」
         高く登ろうと思うなら、
         自分の脚を使うことだ。
         高い所へは、
         他人によって運ばれてはならない。
         人の背中や頭に乗ってはならない。
          (ニーチェ)

          風ひかる羊の群れと少年と

 

木魚歳時記 第3004話

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 (学生ビンギャの質問)ビンギャさんがたずねた。「わたしは年をとったし、力もなく、容姿も衰えています。眼もはっきりしません。耳もよく聞こえません。わたしが迷ったままで死ぬことのないようにしてください。どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるか、そのことを説いてください。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(759) 京極杞陽さん。「春風の日本に源氏物語」(杞陽) 何回かご紹介した? そんな記憶が残っています。季語と「源氏物語」を差し替えるだけで、いくらでも作れるような気もいたします。しかし、先に公表した者の手柄です。なぜなら、こうした作品を見てしまうと、類句をつくる勇気は微塵に粉砕されるからです。

 「今日のことば」
         常識とは十八歳までに身につけた
         偏見のコレクションのことをいう。
         (アインシュタイン)

         偏差とは合否とはなに椿落つ

木魚歳時記 第3003話

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 (学生モーガラージャの質問)ブッダが答えた「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば、死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、(死の王)は見ることがない。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(758) 金子兜太さん。「春あけぼの川舟に隕石が墜ちる」(兜太) 何を食べたらこんな発想が生まれるのでしょうか? 金子兜太さんの頭蓋骨の中を覗いてみたい欲求に駆られます。但し、凡人がいたずらに、奇を衒(てら)ってこの真似をするならば、惨めな結果となることは間違いありません。ブログ作者など、その愚を日常茶飯事に犯しています(汗)。

 「今日のことば」
         自分が大事よ。
         あなたはちがうの?
        (ココ・シャネル)

         春めくや六十路七十路九十路 

       六十路(むそじ) 七十路(ななそじ) 九十路(ここのそじ)

 

木魚歳時記 第3002話

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 (学生モーガラージャの質問)モーガラージャがたずねた。「このように絶妙な見者(みて)にお尋ねしようとここに来ました。どのように世間を観察する人を死王は見ることがないのですか?」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(757) 金子兜太さん。「三月十日も十一日も鳥帰る」(兜太) 「鳥帰る」は、秋に日本に渡ってきて(越冬し)、春に北方の繁殖地に帰る冬鳥のことです群れで帰るわけですから、いわば、あつまる地点が毎年さだまっていて、すごい数の渡り鳥が、今日一陣、明日二陣と北をめざすのでしょう。道中の無事を祈るのみです。

 「今日のことば」
         歩いたあとに
           一輪の花を咲かせたい  
         (石川 洋)

          春まけてへろへろ独り歩きかな

木魚歳時記 第3001話

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 (学生モーガラージャの質問)モーガラージャがたずねた。「この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天(ぼんてん)の世界の者も、誉(ほまれ)あるゴータマ(ブッダ)さまの見解を知っていません。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(756) 尾崎放哉さん。「雀のあたたかさを握るはなしてやる」(放哉) 十姉妹(じゅうしまつ)を飼ったことがあります。ですから「あたたかさ」の感触はよくわかります。その感触を「あたたかさを握る」と字余とし、しかも「はなしてやる」となると、これはもう放哉さんの世界です。

 「今日のことば」
         恋人よ
         まだどこにいるのかもわからない 君
         一人でいるとき 一番賑(にぎ)やかなヤツで
         あってくれ
         (茨木のり子) 

         草の芽のほつほつぽつと狸谷