木魚歳時記 第3621話

f:id:mokugyo-sin:20181125055307j:plain

 持法房源光が身の浅学非才をいって、この優秀児を功徳院皇円(くどくいんこうえん)に送ったのはこの受戒を契機としたのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)322

      病巣の静止画像や黴の花  黴(かび)

 「ボクの細道]好きな俳句(1372) 前田普羅さん。「旅人に机定まり年暮るゝ」(普羅) おもわず俳聖(芭蕉)の旅日記のことを思い起してしまいました。しかし、もちろん、普羅さんご自身のことでありましょう。ようやく作句の場所が定まり気持ちが作句モードに入られたということでしょうか? 年の暮れとはそういうものでありましょう。

木魚歳時記 第3621話

f:id:mokugyo-sin:20181124060539j:plain

 円頓戒(えんどんかい)というのは、キリスト教徒の洗礼というような天台の儀式で、大乗積極の行動精神をこれによって体得したことになる。彼はここに精神的基盤を固めて、今は本式に一個の出家である。
(佐藤春夫『極楽から来た』)321

       仏典を食らひて紙魚の太りだす    紙魚(しみ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1371) 前田普羅さん。「春尽きて山みな甲斐に走りけり」(普羅) 甲斐(かひ)は龍太さんの故郷です。「かたつむり甲斐も信濃も雨のなか」(龍太)。こうした自然詠の作品は不滅です。不滅とは、仏教が説く「諸行無常」の真理に矛盾する? いえ、それはあくまでもスパーン(時限)の問題です。時代に生きる文芸作品はすばらしい。

木魚歳時記 第3620話

f:id:mokugyo-sin:20181123055200j:plain

 その十一月、われらの主人公たる美作の少年も早くも志学の歳十五歳に達していたが、いよいよ出家受戒の壇に登って、心をときめかしつつ円頓戒(えんどんかい)を受けた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)320

       仏塔の口ひらきたる花の昼

 「ボクの細道]好きな俳句(1370) 前田普羅さん。「山吹や根雪の上の飛騨の径」(普羅) 根雪の残る飛騨の山道をたどると、山吹の花が人知れず咲き誇っています。登山体験、もしくは、山深い飛騨の山村でこそお目にかかれる景色でありましょう。真っ白の雪に映える山吹の黄色そのコントラストがあざやかです。

木魚歳時記 第3619話

f:id:mokugyo-sin:20181122064626j:plain

(二)久安三年、八月十二日に天台座主行玄を襲撃した大乗房事件は、院宣によって暴動の首謀者重雲が捕えられたのを、山法師たちが奪還する騒ぎもつづいたが、越前の白山は終に叡山領となって事はすみ十月三十日には大乗房行玄が再び天台座主に復した。
(佐藤春夫『極楽から来た』)319

       側溝をころげまはりて鳥交む

 「ボクの細道]好きな俳句(1369) 前田普羅さん。「秋出水乾かんとして花赤し」(普羅) 秋の出水とは? 二百十日、二百二十日、など台風(降雨)のことを指すのでしょうか? すっかり水に浸っしおれた花たち・・それでもその花たちは「赤」としてのあでやかさを失うことはないのです。その健気さがいとしい。

木魚歳時記 第3618話

f:id:mokugyo-sin:20181121055818j:plain

 院では忠盛の子清盛をして銅三十斤(きん)で父をあがなわせてやっと解決を見たが、忠盛にくみしたという理由で大乗坊を襲撃した大衆は、天台座主行玄(関白師実の子)を追い出しその房を破壊した。
 山は今や道場どころか、正に戦場であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)318

       たんぽぽに埋もれ男の咽仏

 「ボクの細道]好きな俳句(1368) 前田普羅さん。「この雪に昨日はありし声音かな」(普羅) 「さらさら」と降る雪も、さらさらと音てるわけではありません。しかし、その動きを文字にするならば「さらさら」と表現したくなるものです。しかし、今、降り積もった雪には、さらさらの音もなく、ましてや少しの動きすらありません。黙(もだ)の世界。

木魚歳時記 第3617話

f:id:mokugyo-sin:20181120055313j:plain

 しかし久安二年は山でもまだ静かな年で、翌三年四月に白山強訴の騒ぎがあり、六月にはもっと本格的に山の大衆が日吉(ひえ)の神輿(みこし)をかつぎ出してきらら坂を下り、平忠盛(たいらのただもり)の流罪を強請し、
(佐藤春夫『極楽から来た』)317

       恋猫の二つの耳と二つの目

 「ボクの細道]好きな俳句(1367) 前田普羅さん。「秋霧のしづく落して晴れにけり」(普羅) 抒情俳句とはこうした一連の作品を指すのでしょうか。 あるがままの情景をあるがままに表現して余計なものがなにもない。禅の坐禅の道場のような無心さがひろがります。

木魚歳時記 第3616話

f:id:mokugyo-sin:20181119060543j:plain

 憧れにあこがれてきたこの山上の聖域、そのかみの鎮護国家の道場とても、浄土ではない。時代の荒波は打ち寄せて、やはりもう平和な求道の地ではなく、内外に敵をひかえた油断のならない所と、少年は早くも甘い夢から覚めて厳しい現実の相を見抜きはじめていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)317

       ふらここや到達点はゆづれない

「ボクの細道]好きな俳句(1366) 前田普羅さん。「虫なくや我れと湯を呑む影法師」(普羅) 影法師は、もちろん、作者自身の投影でありましょう。吾独り湯を呑む・・そこにあるのは虫時雨のみ。無欲無心の世界がひろがります。こうした心境に至りたい。嗚呼。