木魚歳時記 第3755話 

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 しかし出家を迎える山林も今は俗世間と何の変わりもなかった。門閥がものをいうから、関白の息子なら十五の少年でも少僧都(しょうそうず)になれる。武力がここでもはびこりはじめている。彼らの生活を見るに、出家といい遁世(とんせい)といいながらも、実は世間並みの欲を満たすためにしかすぎない。真に道を求め遁世するために彼ら出家は再出家して、寺院領でないほんとうの山林に入らなければならない。 

  これをこそまことの道と思ひしをなほ世を渡る橋ぞありける

と歌って得脱上人も笠置(かさぎ)の山にかくれたのであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)449

       馬が居てごくごくと飲む春の水 

 「ボクの細道]好きな俳句(1505) 阿部完市さん。「雲雀とほし木の墓の泰司はひとり」(完市) 「泰司」とだけ記(しる)された木の墓標(新仏か?)がぽつりと立っております。そほかに見わたすかぎり音もなく動くものもない。遠くで雲雀が昇るそのときの声だけが響いてきます。ということでしょうか? 

 (序)影像の狩人7 林の外へ出ると、ちょうどいま沈もうとする太陽が、その燦然(さんぜん)たる雲の衣裳を地平線の上に脱ぎすて、それが入れ交り折り重なってひろがっているのを、いっとき、眼がつぶれるほど見つめている。