削るほど紅さす板や十二月 能村登四郎
まだ電気鉋(かんな)の使われていない時代のお話です。大工さんが、材木を寝かせて、鉋(かんな)を掛ける姿を見かけたものです。カンナ屑が花かつおのようにしゅるしゅると舞うの飽きることなく眺めていました。そして、削られた材木の地肌が、削るほどに赤味をおびて美しく目に入ってきた記憶が残っています。それが女性の肌のようにきれいな艶であったのを思い出します。掲句は、厳寒の十二月、いっそうそれが美しく輝いて見えたのでしょう。
削るほど紅さす板や十二月 能村登四郎
まだ電気鉋(かんな)の使われていない時代のお話です。大工さんが、材木を寝かせて、鉋(かんな)を掛ける姿を見かけたものです。カンナ屑が花かつおのようにしゅるしゅると舞うの飽きることなく眺めていました。そして、削られた材木の地肌が、削るほどに赤味をおびて美しく目に入ってきた記憶が残っています。それが女性の肌のようにきれいな艶であったのを思い出します。掲句は、厳寒の十二月、いっそうそれが美しく輝いて見えたのでしょう。