通信簿金魚に見せてゐる子かな 中田尚子
思いがけなく通信簿の成績がよかったのでしょう。お母さんに褒めてもらっただけでは満足せずに、水槽の金魚にまで、通信簿をひらひらさせてはしやいでいる女の子の姿が浮かんできます。ところで、俳句は、説明は駄目だといわれます。そこで説明となるかそうではないのか、ぼく自身もまだその違いついてよくわかりません。その微妙な違いを知るには、多作多捨して自分自身の「体」で覚えるより外にない。と、ぼくは考えています。いいたいことを「いかに我慢できるか」それが上達の一つなのでしょうか?