ぼくは優柔不断なくせに自尊心の高いあかんたれです。ですからいつも、思うことは多いのですが行動力がそれにともないません。ですから痩せ我慢(がまん)のままで<不発弾>のままでおわってしまいます。
「人間は努力をするかぎり
迷うものだ」(ゲーテ『フアウスト』)
仏教でいう「我慢」(がまん)とは、強い自意識から起こる慢心(まんしん)のことです。すなわち、自分を高く見て他を軽視する思いあがりの心を我慢というのです。これは煩悩(ぼんのう)の一つに数えられています。この我意を張る、強情の意が近世後期になって<たえしのぶ>意味に転じて用いられるようになりました。