それ故、乱後、経宗、惟方は天皇の威をかりて上皇を政治に関与し奉らしめず、専ら天皇の親政を策して、上皇をひところ藤原顕長(あきなが)の八条河原の邸に幽し奉った。 上皇は顕長の邸にあって、たまたまその邸にあった桟敷から日夜、往来の人々をご覧にな…
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