清盛の熊野詣ではまことにタイムリーなわなであった。信頼や義朝は憎い信西を思う存分にかたずけて、クデターの一応の成功にいい気になり、十二月九日から十七日まで天下を取った気で、当然次に起こるはずの事態に備えるだけの用意もないうつけかたであった…
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