山中によい泉を見出し、その流域を見積って四至(しいし)すなわち開墾予定標を立てて開墾を企てて荘園としてついにめでたい稲岡の地に南北二つの庄の領主となったのは、源氏の分れといわれて津山出身の国内切っての旧家で名族とされる漆(うるま)氏{また…
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