木魚歳時記第4787話

 しかし恐るべきは、そういう正面からの敵ではなく、そのうわっつらだけを知って本当には理解せずに、運動に参加する付和雷同の徒である。これらが獅子身中の虫というものなのであろう。
 吉水の僧団に人が多く入り込むようになるに従って、なかには法然の真意を解しない者の加わるのも、また是非ののない自然の勢いであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1421

      厄払ひ壬生と吉田と廬山寺へ  厄払(やうばらい)     

 京都の、壬生(みぶ)も吉田も廬山(ろざん)寺も、追儺(ついな)の行事で有名な寺です。三ヶ所も訪ねたとは、欲張りですね! と句評を頂戴いたしました。さて、ぼくの句作の方向性について。ぼくは、十七文字の中に、情報を「つめ込み」過ぎます。そして、何が何だかわからないモノとなります(汗)。