木魚歳時記第4780話

 それが西方浄土からじかに射す光か、それとも法然その人から放射しているかは考え及ばない熊谷であったが、ここ吉水を極楽の別所か何かのように思って、ここから動き出そうともしなかった。
 しかし、鎮西の聖光が、近くその故国に帰る決心を聞くと、彼が師の許(もと)を立ち去って、ひとり立ちできる学者の自信を羨み、無智の身をはかなんだ。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1414

       もういちど兎抱きしめ卒園す

 この俳句は(ぼくの俳句の中では)異色の部類に入ります。たいていの方は「もういちど」の使い方を褒めて下さいます。ぼくも、この俳句を嫌いではありません。が、なんだか好きにはなれない・・「S・S」、つまり「ダブルS」「雲谷斉木魚」と称する由縁です。つまり、万事「くさい」のです(汗)。