こういう悲惨な年に逢いながらも、法然は米にも薪にもさらに困らず、これでは世間のうわさに対してもすまないような気がした。これというのも近くに秦氏という大旦那あひかえていて、そのおこぼれにあずかっていたせいもあるがそればかりではなく、老婢(ろうひ)が懸命に奔走したしたためでもあった。彼女は全く献身的に奉仕していた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)850
死ぬための病院さがし半夏雨
「ボクの細道]好きな俳句(1936) 岩淵喜代子さん。「芸亭の桜紅葉のはじまりぬ」(喜代子) 家元のお屋敷とか、稽古をつける場所とか、歌舞練場などが思い浮かびます。さて「死ぬための病院さがし」について。これから先に何が起こるか?それはわかりません。ですから、ホスピスを探しても仕方がありません。お浄土へは阿弥陀さまの「お迎え」を待ちます。だだ、できれば「尊厳死」を望んでいます(笑)。
なむわ、わたしで、
あみだもも、なむで、
なむも、あみだも、なむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)