木魚歳時記 第524話

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 写真は二季咲き(11月)の子福桜です。
 さて、「他力」(たりき)とは。主体性のない行為を指して「そんな他力本願では駄目だよ・・」などと用います。

 「他力」(たりき)は、いうまでもなく「自力」と対になることばです。ことばのとおり「自分の力でなく、他のものの力による」ということです。この場合の、自分とは、わたしたち「衆生」(しゅじょう)を指し、他のものとは、極楽浄土のアミダ仏を指します。いいかえるならば、極楽浄土のアミダ仏は、わたしたち衆生を極楽浄土に救い取ることを「本願」(ほんがん)とされてアミダ仏となられたのです。(「本願」については別項で・・)ただし「智者のふるまひをせずしてただ一向に念仏すべし」とおっしゃられた法然上人のおことばのとおり、そこには、他力(救い)と自力(念仏)の交流があることが前提となります。

   ひたすらと文字に残せし暮の秋