前扁(23) 一枚起請文(いちまいきしょうもん) 浄土宗の念仏は、 称えれば極楽往生疑いなしと信じ、 愚痴に還ってひたすら 南無阿弥陀仏と称えることである。(青色 法然上人のお言葉) 『もろこし我が朝(ちょう)にもろの智者たちの沙汰(さた)し申さ…
前扁(22) 無常迅速(むじょうじんそく) 繁栄は長続きせず人生は短い。 修行せずに死ねば 後悔先に立たずである。 勅伝第32巻 (青字法然上人のお言葉) 朝に咲く花は夕方の風に散り、夕方に結ぶ露は朝の陽に消える。妻子、親族が居て、金銀財宝が鞍に…
前扁(21) 精進(しょうじん) 多くの人は仏教の行き渡る世にありながら、 遊びに耽り仕事に追われ、悪業を重ねるだけで、 修行せずに過ごしている。勅伝第32巻 (青色 法然上人のお言葉) ある経文に「人間には、一日に八万四千の思いがわき起こる。そ…
前扁(20) 難修観法(なんじゅかんぽう) 往生を願う者は、 阿弥陀仏や極楽のありさまを 観想しようとせず、 口に念仏を称えよ。 かの仏は、いま極楽にあって仏となっておられる。衆生が称名念仏すれば必ず往生できるという善導大師のお言葉を信じて、ひ…
前扁(19) 乗仏 本願(じょうぶつほんがん) 阿弥陀仏の本願の力に乗じて 往生できるか否かは、 本願を最も重視するするか否かによる。 (阿弥陀仏の)他力本願に乗じる場合に二つ、乗じない場合に二つあります。第1に罪を犯すときです。第2に、菩提心を…
前扁(18) 自身 安穏(じしんあんのん) 念仏者は、常日頃、 念仏第一と考え、 念仏し易い環境を整えよ。 この世の過ごし方は、念仏を称えやすいようにして過ごすべきです。念仏の妨げになるようなことは厭い捨てるべきです。自分が支えられて自分が念仏…
前扁(17) 易行往生(いぎょう往生) 念仏は多くの意味を伴うが、 南無阿弥陀仏と称える中に すべてこもっている。 努めて心を清くして念仏せよ。 念仏の行は口に名号を称え、手には数珠(じゅず)繰(く)るだけです。これで極楽往生が叶(かな)うこの…
前扁(16) 他力念仏(たりきねんぶつ) 他力念仏・自力念仏の分かれは 回数のよらず、 本願他力によるか 頼らないかによる。 千遍万遍を称(とな)え、百日千日、昼夜に励み努めても、ひたすら(阿弥陀仏の)願力を頼(たの)みとし、他力を尊ぶ人の念仏…
前扁(15) 信行双修(しんぎょうそうしゅう) 念仏は一遍でも 往生できると信じつつ 一生涯勤めよ。 信心については「一念で往生できる」と信じ行については、生涯続けて励むべきです。「一念では(往生が)不確かだ」と思うならば、一声一声の念仏が、不…
前扁(14)専修念仏(せんじゅねんぶつ) 念仏は 生まれつきのままに 修めればよいが、 努めて悪を 改めるよい。 善人は善人のままで念仏して、生まれつきのままで念仏する人は、阿弥陀仏の御心(みこころ)適うということでしょう。「ああだろう、こうだ…
前扁(13)二行得失(にぎょうとくしゅつ) 念仏すれば すべての人が往生するのに 他の修行では 稀にしか往生できないのは 弥陀・釈迦の御心に 随わないからである。 (中国の善導大師さまは、往生を得るための修行の方法を「念仏」つまり「ナムアミダブツ…
前扁(12)正雑二行(しょうぞうにぎょう) 速やかに苦しみの境涯を超えるに 浄土門に入って念仏を専念せよ。 阿弥陀仏の本願によって 必ず往生できる。 正雑二行の教えの中で、速やかに迷いの境涯を離れたいと願うならば、まずは聖道門をさしおいて、選ん…
前扁(11)深心(じんしん) 深心とは「いかなる 自分んであろうとも、 念仏すれば阿弥陀仏の本願の力で 往生できる」という確信である。 心に往生したいと願って、口に「南無阿弥陀仏」と称えて、声にあわせて必ず往生できる」という思いを抱きなさい。往…
前扁(10)小消息(こしょうそく) 末法の世では、わが身の善悪を顧みず、 教えを信じ、往生を求めて 念仏を多く称え、 罪を犯さないように努めよ。 末法の時代の衆生を、極楽に往生できるかできないかの能力に当てはめて考えるとき、修行が少なくても疑っ…
前扁(9)安心(あんじん) 念仏者の心がまえは、往生を願い、 念仏すれば阿弥陀仏がお迎え下さると 信じる以外にない。 それが自然三心となる。 「阿弥陀仏」(あみだぶつ)が迎え下さると信じて、念仏、すなわち「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)を称(…
前扁(8)万機普益(ばんきふやく) 浄土宗が他の宗に勝り、 念仏が他の宗により優れているのは、 万民を救済する点にある。 浄土一宗が他の諸宗に勝り、「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の実践が、他の様々な修行より優れているということは、末法の時…
前扁(7)諸仏証誠(しょぶつしょうじょう) 六方 の諸仏が教えの正しさを証言しておられるから、 念仏して弥陀の本願、釈尊の付属、諸仏の守護を、 一身に受けよ。 衆生の往生は、弥勒菩薩(後のアミダ仏)の「四十八願」により導かれます。しかし、「四十…
前扁(6)五劫思惟(ごこうしゆい) 法蔵菩薩は、 「一切衆生を平等に浄土に迎えるため、 「私の修行の功徳を 南無阿弥陀仏の六字にこめて 人々に考えさせよう」 と決意された。 法蔵菩薩(後のアミダ仏)は、衆生が浄土往生する筋道についてお考えになりま…
前扁(5)選択本願(せんちゃくほんがん) 凡夫が念仏で往生でき るという教えは、阿弥陀仏が法蔵菩薩のときに立てられた本願に基づく。 『無量寿経』(むりょうじゅきょう)に、もし「私(法蔵菩薩)が、仏(アミダ仏)の位を得たとしても、十方の衆生が「…
前扁(4)出世本懐(しゅっせほんかい) 仏往生の本願は、 阿弥陀仏が一切衆生を 平等に救おうとする慈悲に基づく、 釈迦が出現されたのは、 この教えを説くためである。 『観無量寿経』に「仏の心とは大慈悲に他(ほか)ならない」と説かれます。 善導大師…
前扁(3)聖浄二門(しょうじょうにもん) 念仏の修行は、 智慧を極めて覚る道ではなく、 愚痴に立ち戻って、極楽に生まれる道である。 「聖浄」は、「智慧を極めて極楽に往生する浄土門」と、「愚痴(ぐち)に還(かえ)って極楽に往生する往生する」。つま…
立教開宗(りっきょうかいしゅう) 仏教の覚りは三学にあるが、 それに堪えられないと思った私は、 三学よらない道を、 善導の大師の教えの中に見出した。 前扁(2) 「立教開宗」(りっきょうかいしゅう)とあります。三学とは「戒定智」(かいじょうえ)…
はじめに。このたび、不思議なご縁を頂戴し、総本山知恩院布教師会(TEL075・531・2157)より初版(平成22年4月25日刊)の 法然上人のお言葉ー元祖大師御法語ー の冊子を知りました。そこで、転載認可を頂戴し、冊子の一部をアップ(月曜…
全く無思想なただ温和に容易な修行とだけ見えた教えの底に、この畏怖すべき法力が秘められていたとは、その初め、法然以外誰が知っていただろうか。 徳川家康がこれを借りて国内統一を企てたのは、法の真意を知らない全くの逆用で、ために法の真意はいささか…
法然はとどまり給わず」わずか半世紀の間に早くも、都鄙(とひ)に伝播し、衆生の心奥に浸透して血肉化し、今や衆生の生活指針とも実行能力ともなって、あらゆる人為的な統制力や権威をも、おもむろにしかし確実に崩壊せしむるきざいを現わし、庶民のすべて…
その三十年ばかり以前にも鎌倉幕府が念仏僧を途にに要して捕え、その黒衣や袈裟を奪って焼いた。また叡山抱きは己が黒谷の僧、法然の著書『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)の版木を、山上大講堂前で焼いたこともあった。(佐藤春夫 付…
上野国の学僧で、叡山並榎(なみえ)の堅者(りつしゃ)定照(じょうしょう)は、上野の叡山領を管していたが、荘園内の念仏興隆に抗し切れず、えせ忠義立に本山の僧兵を扇動して迫害に乗り出し、「すべからく専修念仏を停廃せしめべし、但しその根本により…
滅後十五年、嘉禄(かろく)三年六月、叡山の僧兵らが無残にも、法然の廟を破り墓をあばいて屍を鴨川に遺棄しようとした事があった。遺弟信空らが集まってこれを防ぎ、その夜遺骸を西山に移し、翌年粟生野(あおうの)に荼毘(だび)した。(佐藤春夫 付録章…
住房の上方に地を相して埋葬し、墳墓に廟(びょう)を設けた。地は狭く廟はささやかだが、参詣の人々は日夜あとを絶たない。法然は死しても、法は止まらず、念仏の教えはいよいよ盛んであった。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) 月天心月に焦れし求道僧 「…
正月二日から食欲不振になったが、両三年来衰えていた目と耳はとは、逆に以前の聡と明とにかえり、念仏もいつもより盛んになっていた。十一日には極楽の聖衆の来迎(らいこう)、二十日には阿弥陀仏の顕現(けんげん)があったらしい。二十四日の宵から二十…