木魚歳時記第4666話

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 第二十八章 地獄から来た
(一)宋人の陳和卿(ちんわけい)は、法然の推挙により法然に代って、大仏殿の大勧進となった重源上人が大仏殿修復に当たって、その人物と技術とを見込んでわざわざ大陸から連れて来た工人で、大仏の頭部の改鋳もこの人の苦心によって成ったものである。(佐藤春夫『極楽から来た』)1304

        もういちど床に戻らう猛吹雪 

 「ボクの細道]好きな俳句(2403) 野見山朱鳥さん。「父と子は母と子よりも冴え返る」(朱鳥)  そうしたものでしょう。さて、ボクも親父(師僧)とスキンシップした記憶はありません。というより、必要な会話以外無かった気がします。「冴え返る」をそのように読みました。

朝はいただきもの 
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4665話

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 「お喜びを拝し法然も同じ喜びを覚えます。仏もお喜びを同じくされたに相違ありません。極楽でめぐり会う喜びもかくやとばかり」
と二人の喜びは二人の瞳を涙で包んだ。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1303

                 着ぶくれて石につまずく大僧正

 「ボクの細道]好きな俳句(2402) 野見山朱鳥さん。「初雪は隠岐に残れる悲歌に降る」(朱鳥) 前に地名のことに触れました。同じく、隠岐(おき)とか、常陸(ひたち)とか、伊豆(いず)とか、安房(あぼう)の地名に出会うと、遠流(おんる)、すなわち、流罪で流された都人のことを思います。

今から始める
ここから 
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4664話

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 この書の稿本を受け取った兼実は、
「最初、念仏をさとすの説き起こしから、わたくしへの終わりのお戒めのお言葉まで、再四拝読して至らざるなき御教訓、骨身に徹して総身に極まりなきよろこびを覚えました。二河白道(にがびゃくどう)の善導のお言葉を親しく拝して己が心の有様、特に『中間の白道四五寸・・能く願往生の生ずるに誓ふ』の句はわたくしに願心の起る瞬時を照らし出し、こう如実にこれを存じたからには、の早いかなる迷いも起ることなしと思い取りました。鍵穴に鍵を差し入れたかの感じ、信はもう決して狂いませぬ」
(佐藤春夫『極楽から来た』)1302ー2

        嫁叩き桃から生れた桃太郎  生(あ)

 「ボクの細道]好きな俳句(2401) 野見山朱鳥さん。「寒雷や針を咥へてふり返り」(朱鳥) さて「咥」(くわ)へとは、歯で支えるの意味でしょうか。時ならぬ寒雷に驚き、針を口にくわえたまま、いなびかりの方を見たというのです。なぜか「いなびかり北よりすれば北を見る」(橋本多佳子)さんの名句も思い出しました。

正直を友とす 
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4663話

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 恰もこの前々年、東大寺が初めて世親講を大々的に興している事態に鑑(かんが)みて、法然の思慮が学問と世態の上に周到に行き渡っているのがみられる。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1302 

         我はこれ氷魚を食はぬ男なり

 「ボクの細道]好きな俳句(2400) 野見山朱鳥さん。「秋風よ菓子をくれたる飛騨の子よ」(朱鳥) 子どもに菓子をもらった! でも、飛騨の子だからいいのでしょう。甲斐(かい)とか、信濃(しなの)とか、飛騨(ひだ)とか、その地名で何が起きても「絵」になるから不思議です。地名の魅力というのでしょうか?

邪魔をする人は邪魔をされる
(石川 洋) 

 

木魚歳時記第4662話

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 『往生論』が南都仏教の始祖とも見るべき世親の著であるのを思えばこの問題もすぐわかるが、法然が世親のこの著を「三経一論」として所依の経論に取ったのは正に敵の剣を取って敵の胸に擬したかの概がある。南都仏教はこのため、教学上実際にはも早や浄土一宗に包み込まれてしまったかの感があるのではないか。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1301 

           天空を鳶がすうすう小春の日

 「ボクの細道]好きな俳句(2399) 野見山朱鳥さん。「火の隙間より花の世を見たる悔」(朱鳥) かがり火の隙間から花見の狂乱を見てしまった悔い(作者の)と読みました。ボクは手づくり句集を何冊か作りました。どれも、下品(げぼん)の出来です。しかし、書架に並んでいるとやはり感無量です(汗)。

いつまでも
自分でやれるのではない  
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4661話

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 このようにしてできた全く無署名の署の教学上の最も重要な点は、改めて説くまでもなく弥陀の本願たる念仏を選択したところにあるが、また所依の経論を確定した点も見逃してはなるまい。「三部経」に『往生論』一部を加えたことをいうのであるが、法然があれほど重要視した『観経疏』を取らずにこの一論を加えたのは何か特別の用意があったに相違ない。(佐藤春夫『極楽から来た』)1300 

          歌かるた赤い髪した女の子

 「ボクの細道]好きな俳句(2398) 野見山朱鳥さん。「秋風よ菓子をくれたる飛騨の子よ」野見山朱鳥さん。たまたま「飛騨」の旅先での作品でしょうか? さて、鎌田政利さんの俳句「木魚ポクポクと危なく雛の昼」(故人)をなぜか思い出しました。生前中に、ボクに頂戴した俳句のことです。座右の銘として大切にしています。

自ら燃えよ  
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4660話

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 法然は口授しながらも、生涯に見た多くの経や論などのなかのさまざまな意見を星空の星のように思い浮かべながら、往年の己はさながら、広野の道に迷うて闇夜の星に行く手を聞いていつ旅人のような身であったと過去を回想し、選択、本願、念仏などの文字を口にしては、これらの文字のために賭けた生涯であったと深い感懐を催したものであった。この時彼自身が、その昔、彼の見た満天の星辰中、最も光かがやかなものになっているなどとは思いもよらないで。(佐藤春夫『極楽から来た』)1299

        東に比叡を隠し猛吹雪  東(ひんがし)

 「ボクの細道]好きな俳句(2397) 野見山朱鳥さん。「あたたかや四十路も果の影法師」(朱鳥) 四十路といえば作者の時代でも働き盛り? さて、ボクの場合も、ひたすら全力疾走していました。己の影に気づく<ゆとり>はなかった(汗)。そして、今、認知症気味の八十路半に突入しています。 

人生 逃げ場なし
逃げたらあかん  
(石川 洋)