木魚歳時記第4465話

f:id:mokugyo-sin:20210408075306j:plain

 浄海入道清盛の病気は傷寒(しょうかん・腸チフス)のようなものであった。高い熱がつづき時々は「あた、あた(熱い熱い)をいいつづけて七日の後、治承五年(養和元年)閏(うるう)二月四日、急に六十四歳の生涯を終わった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1114

        なにごとか深夜のわらひ仏生会

 「ボクの細道]好きな俳句(2204) 京極杞陽さん。「アイスクリームおいしくポプラうつくしく」(杞陽) 取り合わせの絶妙さが冴えます。作者の視覚的センスに魅せられます。

邪魔をする人は邪魔をされる
(石川 洋)

 

 

木魚歳時記第4464話

f:id:mokugyo-sin:20210407061724j:plain

 それで宗盛では政権を永く保つことはできず、やがて藤原氏や源氏などの宿的に奪い取られて、その風下に立つ一族の未来を考える不安につけても、法皇が再び天下の大権を執られせられるのを喜び、子孫は父祖の郷国に帰って平和に安住するのを祈り望んでいた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1113

      高野川つぶてのごとく燕反る

 「ボクの細道]好きな俳句(2203) 京極杞陽さん。「足袋の持つ演劇的な要素かな」(杞陽) 「足袋の持つ演劇的な要素」とは? これはわかりません。それはともかく、ピハビリ・ケアの動作で、「指のついたクツ下を用いなさい・・と、指示されたときは仰天しました。まるで「足袋」(たび)やんか、昔の・・

悲しいことが多いのは 
自分のことしか分らないからだ
(石川 洋)

 

木魚歳時記第4463話

f:id:mokugyo-sin:20210406070005j:plain

 はじめは単純な風気ように見えた清盛の病気は、はかばかしい回復も見せなかったので、重盛の弟宗盛を五畿内、伊賀、伊勢、近江、丹波の「総管」に任じて国々を「総領」させることにした。それが宗盛には荷が勝ちすぎること清盛はよく知っていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1112

      啓蟄や和尚飛び出す非常口

 「ボクの細道]好きな俳句(2202) 京極杞陽さん。「すだちしぼる手許や阿波の女なる」(杞陽) あの安波踊の画像が浮かびます。ともかく、女性のあらゆる仕草に魅せられるのが「アホな男」の常であるあるからです。

いつでも最初にやりはじめるのは
女たちよ。
(ココ・シャネル)

 

 

木魚歳時記第4462話

f:id:mokugyo-sin:20210405081324j:plain

 清盛は何を感じたものであったか、さきに遷都と同時に配流していた前摂政基房や前太政大臣師長らを召喚して、先年、法皇を脅し奉って奪い取った政権を返上し奉ろうと、
「天下の政を知ろし召し賜われ」
 と奏上したものであったが後白川法皇は御聴許にならなかった。
しかし高倉上皇の崩御の三日後、法皇は、
「天下の万機をもとの如く聞こし召す」
 と仰せ下されたので病床の清盛は肩の荷を下ろした安堵の色を見せた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1111
 
      小魚の群れ光りたる春の川

 「ボクの細道]好きな俳句(2201) 京極杞陽さん。「裸子も古めかしくてこの辺り」(杞陽) 杞陽さんの時代なら、子は、フルチンで水遊びをしていたかも? しかし、もちろん、杞陽さんご自身は、きっちり6尺を絞めておられた? 

思ったままをいう。
それで始まり、それで終わるわ。
(ココ・シャネル)

 

木魚歳時記第4461話

f:id:mokugyo-sin:20210404075504j:plain

 このころ、木曽義仲が根井小弥太や滋野行詞親などの兵を従えて木曽から北陸の方へ進出して勢いを日に加えていた。
 平氏では義仲挙兵の情報を知りながら、これを清盛の耳に入れなかった。というのは清盛はこのころ病んで病状が思わしくなかったからである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1110

       声はるか北北西に揚ひばり

 「ボクの細道]好きな俳句(2200) 京極杞陽さん。「明易し姉のくらしも略わかり」(杞陽) 姉弟といっても、姉の暮らしの詳細となるとわからないことも多い。出会うことすら思うにまかせないのが現実ですから(汗)。

髪を切った。なぜ?
飽きたからよ。
(ココ・シャネル)

 

木魚歳時記第4460話

f:id:mokugyo-sin:20210403071900j:plain

 同じ民心はみ子二条天皇おん孫六条天皇、そうして建春門院を、また以仁王を、今また最愛の上皇を前立たせ給うた法皇に対する靡然(びぜん)たる同情となっが、なかにはつむじ曲がりもいて、みなおん兄讃岐の院さま(崇徳上皇のこと)のおんたたりだなどとひそかに云いふらすのであった。これらはみな清盛に心を寄せている者どもなのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1109
 
      あの声はあの池に棲む牛蛙     

 「ボクの細道]好きな俳句(2199) 京極杞陽さん。「邯鄲に美しき客あれば足る」(杞陽) 邯鄲(かんたん)とは? とても美しい声で鳴く、バッタ類の虫(秋季)のことだと思います。では「美しい客」とは? 読者は、かぎりもなく妄想をたくましくいたします。

私は流れに逆らって泳ぐことで
強くなったの。
(ココ・シャネル)

 

木魚歳時記第4459話

f:id:mokugyo-sin:20210402125321j:plain

  わけても福原の荒い塩風が玉体を痛め奉ったに相違ない。これもみな清盛の横暴の結果であると、大仏殿炎上のを平家の所業として憎んだ民心は上皇の崩御をまで清盛のせいにするのであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1108 

       黄砂降る寝たる姿の東山

「ボクの細道]好きな俳句(2198) 京極杞陽さん。「ミユンヘンの木の芽の頃の雨の写真」(杞陽)海外滞在の時のことをさらっと詠んで、しかも「雨の写真」とは・・外連味(けれんみ)の無いところが好きです。

私は誰にも似ていない。
誰も私に似ていない。
(ココ・シャネル)