彼は先ず学問(先哲の智力)によってわが信念を証明し客観化しようと空しく努力した。法然の修法との対決はいよいよ深められて行く。修法にも独善の陥穽(かんせい)が秘められているのを法然はやがて気づかずには置かない。
(佐藤春夫『極楽から来た』)756
山麓に野仏あまた山眠る
「ボクの細道]好きな俳句(1835) 稲畑汀子さん。「落椿とはとつぜんに華やげる」(汀子) 落ち椿が地上に「灯る」艶やかさは遠くからでも目につきます。ハッ、といたします。しかし、なぜか拾おうとはいたしません。自然のままに眠らせてあげたいからです。落ち椿は、菩薩(ぼさつ)であり野仏であるからです。
のせられて、ごをんをみれば、
なむあみだぶつ。
をやのごをんがあればこそ。
ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)