第十七章 見果てぬ聖夢
(一)法然は日々礼讃(らいさん)をつづけ、法華三昧は既に成じて、今は五相成身観(ごそうじょうしんかん・現身のまま現世で大日如来になるという観法を修行しつつも、欲は口称念仏(くしょうねんぶつ)の行が他にすぐれていることを自分に証明しようと、この年ごろあせっていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)754
とつぜんに蟒草の眠くなり 蟒草(うわばみそう)
「ボクの細道]好きな俳句(1833) 稲畑汀子さん。「花の道つづく限りをゆくことに」(汀子) そうです。先の事はお互いにわかりません。ならば、(幸せを感じつつ)さくら吹雪の舞う道を、ただひたすら進もうではありませんか。西方極楽浄土(彼岸)に到達することを念じつつ。
のせられて、わがみながらも、
をもうはづかし、
なむあみだぶに、こころみられて。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)