木魚歳時記 第3920話 

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 というのは、後白河院と二条天皇とのおん仲は、奸臣経宗、惟方の配流の後も依然として甚だしくご不和で、上皇が天皇の近臣を処罰されると、天皇はまた報復的に上皇の側近を処罰し給う。こんな事で双方の重臣たちも安き心のない日々である。こういう空気で官位も待遇も思わしくない頼政は、不平にたえず、
   人知れぬ大内山のやまもりは木がくれてのみ月を見るかな
 と姪に述懐をもらした。この歌のためかどうか、その後昇殿がゆるされた。院の昇殿から十年後である。頼政の身に翼でも生(は)えたような喜び方に、知人たちも祝いの歌を多く贈った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)601

       いつまでも花野の中を徘徊す  徘徊(はいかい)

 「ボクの細道]好きな俳句(1669) 橋 閒石さん。「柩出るとき風景に橋かかる」(閒石) 出棺のとき、こちらの岸(現世)から彼の岸(お浄土)へ渡る「橋」が架かるように思えた・・会葬者の故人の冥福を祈る気持ちを詠った作品でしょう。ボクも、相棒と話しています「さきのことは、わからへん」「今日一日、無事で過ごせたら」「それで幸せ」。

 鼠4(ねずみ) 私がペンを置くと、その度にその静けさが彼を不安にする。私がペンを動かし始めると、多分どこかにもう一匹鼠がいるのだろうと思って、彼は安心する。