四の宮が大納言経実の女懿子との間に一子守仁をひそかに設けた時、朝子は罪を一身の監督不行き届きに帰して、どう身を処しておわびを申し上げようか、とひたすらに嘆きわずらうそのふびんさを見かねた美福門院が、四の宮のためというよりは、紀の二位のために、母を失った守仁を引き取って守り守り育てる気にもなったものである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)565
石の下の穴にびつたり蝦蟇 蝦蟇(がまかえる)
「ボクの細道]好きな俳句(1630) 種田山頭火さん。「おとはしぐれか」(山頭火) これははたして俳句といえるのどうか? それはボクにはわかりません。しかし、一行詩であろうと、何であろうと、七文字のもつオーラは、しっかりと伝わってきます。「金蔵菩薩の筝のこえ 三十七尊けんげんす」(梶原重道『菩薩曼荼羅』)
驢馬(ろば)5 突然、ものみながその底に沈み、そして既に眠っていたあたりの静寂の湖が、けたたましく崩れ落ちる。
いったいどこの女房が、こんな時刻に、錆びついた井戸車をきしませながら一生懸命井戸の水を汲(く)み上げているのだろう? それは驢馬が帰って来ながら、ありったけの声を振絞って、なに平気だ、なに平気だと、声が嗄(か)れるほど啼き続けているのである。