木魚歳時記 第3871話

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 それ故、乱後、経宗、惟方は天皇の威をかりて上皇を政治に関与し奉らしめず、専ら天皇の親政を策して、上皇をひところ藤原顕長(あきなが)の八条河原の邸に幽し奉った。
 上皇は顕長の邸にあって、たまたまその邸にあった桟敷から日夜、往来の人々をご覧になってお喜びになり、時には下民をお呼び寄せのこともあったのを経宗、惟方は天皇の命と称して桟敷を外部からの板で釘づけにして上皇の視界をさえぎり奉った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)555

        いぼむしり斧が外れたどうしやう

 「ボクの細道]好きな俳句(1620) 種田山頭火さん。「焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか」(山頭火)。これまでの日記を焼き捨てたことは前述しました。その頃、カルモチン自殺も試みたとも伝えられています。山頭火さんにとって生涯の岐路であったと推察できます。* 信は財であり 戒は財であり 自分に恥じること 他人に恥じること 教えを聞くこと 布施も財であり 智慧も合せて七財とする(ブッダ)

 馬(うま)1 決して立派ではない。私の馬は、むやみに節くれ立って、眼の上がいやに落ち窪(くぼ)み、胸は平べったく、鼠(ねずみ)みたいな尻尾(しっぽ)とイギリス女のような糸切り歯を持っている。しかし、こいつは、わたしをしんみりさせる。いつまでも私の用を勤めながら、一向逆らいもせず、黙って勝手に引き回されているということが、考えればかんがえるほど不思議でしょうがないのである。(ルナール『博物誌』より)