木魚歳時記 第3866話

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           第十二章 後白河院
(一)平治の乱の経緯はおよそ前に記したごとくである。保元の乱は武家を社会の上流に押し上げたが、平治の乱は年久しく対立していた武家、源氏の二氏のうち源氏を一挙に滅ばして、武家はを代表とする平氏の独壇場となった。
 しかし、これは格別に清盛の企てたところでもなく、その努力の結果でもない。偶然に彼の拾った幸運であった。たしかにそれだけの器量はあったが、彼清盛は天寵(てんちょう)の人である。
(佐藤春夫『極楽から来た』)550

        地平線いなびかりまたいなびかり

 「ボクの細道]好きな俳句(1615) 種田山頭火さん。「まっすぐな道でさみしい」(山頭火)。山頭火さんが俳句をはじめたのは、明治44年ころで荻原井泉水が、新傾向運動を起こして間もないころといわれます。そのころ『層雲』につながって盛んに句作したと伝えられています。しかし、生活は酒と定職のない不安定な時期が続いたようです。* 老いれば 容姿は衰える 病めば 姿態は壊れゆく 敗れて 朽ちて腐れゆく いのち終える とは そのようなもの(ブッダ)

 牡牛(おうし)6 「逃げ出してみたところで、牧場の外に出ないうちに、きっとあの牡牛のやつに追いつかれてしまうだろう」と彼は考える。「そうかといって、泳ぎも知らないで川に飛び込めば、溺(おぼ)れるに決まってる。地べたに転がって死んだ真似(まね)をいると、牡牛はこっちのからだを嗅(か)ぎ回すだけで、なんにもしないという話だ。