木魚歳時記 第3864話

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 途中、十三歳の頼朝は朝からの合戦の疲れに馬上で居眠りが出て一行に遅れること二度、はじめは捜し出したが二度目はついに見つからない。
 義平を飛騨に、朝長を信濃にやって甲斐信濃の一族に連絡させたが、途中の雪に朝長の傷は悪化した。義朝はこれを自刃せしめて一身は家臣鎌田の舅(しゅうと)の尾張内海の長田庄司の家に落ちついたところで、長田父子の手にかかってだまし討ちに討たれ、悪者は義長の首を清盛に送りとどけた。その首をさらし台に置いたのを見て、台のかたわらに、
(佐藤春夫『極楽から来た』)548

        炎天のサンペテルトブルグ大聖堂

 「ボクの細道]好きな俳句(1613) 種田山頭火さん。「ひとりで蚊にくはれてゐる」(山頭火)。山頭火さんは、明治29年、防府の尋常高等小学校、3年制周陽学舎、県立山口中学に編入しますが成績は常に優秀、そのころから俳句を始めたと伝えられています。山頭火さんのシリーズは、なまじ解説はいたしません。代わりに、お釈迦さまのことばを添えます。*老いて死ぬのは たとえば 人が鞭を操り 放牧して 牛を飼うようなもの 老いて死ぬのは そのようなもの あまたのいのちを 養って去ってゆく(ブッダ)

 牡牛4 こいつは有名な牡牛で、その堂々とした体格に道を通る人々が眼を見張るくらいだ。人々は遠くからそっと感心して眺め入る。そしてこれまでのところ、まだそんあことはなかったにしても、彼がその気になれば、牛飼いなどは、角の弓にかけて、矢でも飛ばすように空中にほうり上げるかも知れない。