木魚歳時記 第3863話

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 経宗、惟方は信頼から清盛にかわり、主上潜幸の功によって罪は許された。
 義朝は主従、わずかに三十騎ほどになり、馬にも乗らずに叡山を越え、再起を期して東国へ急ぐ。叡山では落ち武者の物の具をねらって強盗化した僧兵の叔父を討たれ、次男朝長は太腿に矢をうけながらも、ともかく美濃青墓の宿に入った。ここに愛妻とその一女がいたのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)547

         ガーベラの色あざやかに五六本

 「ボクの細道]好きな俳句(1612) 種田山頭火さん。「鴉啼いて私も一人」(山頭火)。本名種田正一。明治十五年十二月三日、防府宮市の大地主の長男として生まれ、十一歳のとき、母ふさが自宅の古井戸に投身自殺した。後の実家の没落も母の死も父武冶郎の放蕩が原因と伝えられます。同じ自由律作家尾崎放哉さん没後、山頭火は長い行乞の旅に出たとあります。さて、たとえば 大河は速やかに流れてゆく ただ過ぎ逝くばかりで 帰っては来ない 人のいのちも そのようなものだ 去り逝くものは 帰って来ない(ブッダ)

 牡牛(おうし)3 突然、ちょうど太陽がじりじり照りつけている大きな牧場を横切って行く途中で、彼は立ち止まる。
 向こうの方で、牝牛(めうし)どもがのんびりと寝そべっているなかから、牡牛がのっそり起き上がったのである。